「もー、ほんと信じらんない! 千春ちゃんのばか!」
「だ、だからごめんってば……」
 足元でばつが悪そうに正座する彼女に怒鳴りながら、歩はむくれた顔でそっぽを向いて乱れた衣服を正した。
 そりゃ、恋人同士ならこういう事もあるだろうな、くらいのレベルでなら考えたことはある。実際、嫌だったわけでは、ないのだけれど。
「……もー!」
 不満を直接言葉にすることも出来ずにじたばたと足を振る。歩にだって色々と、理想や願望があったのだ。例えば初めてのキスは二人でのんびり散歩をした帰りに夕日の綺麗な公園で、だとか。色々と段階を踏んでからのムード作りも大切だよね、だとか。
 それをまあ、味もそっけもない不意打ちのキスをかまされたり。
 きちんとやり直したかと思えば、そのままがっつくように先に進まれたり。
 ムードのムの字もあったものではなく、あれが数時間前にはプリンを食べさせるのも恥ずかしいと嫌がった人間のすることか、とつくづく思う。
「……そんなに嫌だった?」
「だから違うの! 千春ちゃん分かってないよね!?」
「え、じゃあ下手だったとか」
「そっ……そーゆーこと聞くから嫌なんでしょ!?」
 傷ついたように尋ねられて言い返すと、ぽつりと付け加えられたので真っ赤な顔で怒鳴りつける。情けなく肩を落としたまま正座を続ける千春に、しばし黙り込んでから唇を尖らせた。
「……だっこ」
「へ?」
「お風呂入りたいけど、疲れちゃったんだもん。連れてって」
「あ、うん。シャワーでいいの? お湯入れてこようか?」
「いい」
 ふるふると首を横に振って、ほっとした様子で立ち上がった彼女の首にしがみつく。腰の下に腕を差し込んで抱き上げてもらいながらも、順番が逆なんだよね、と小さく息をついた。
 正直、今でも頭の中が混乱したままなのだ。
 気を抜くとすぐに心臓が跳ね上がりそうになるし、恥ずかしさで何も考えられなくなる。心の準備が足りなかったせいで、どんな態度を取ればいいのかも分からない。
 全部全部、千春が悪い。
「ん、ほら、ついたよ」
「……ありがと」
 脱衣所で下ろされて、ぼんやりと考え込んでいた思考が途切れる。
 服に手をかけようとしたところで、そわそわと落ち着きなく突っ立ったままの千春をじろりと睨んだ。
「ちょっと、千春ちゃん」
「え」
 背筋を伸ばした彼女を無言で見つめる。
 こちらの言いたいことがようやく分かったのか一歩ずつ後ろに下がるのを追いかけて、ぴしゃりとドアを閉めた。
 一応、思い直して首だけ外に出す。
「えっと、あの、今日はもう駄目ってだけだよ?」
「……あ、うん」
 間の抜けた返事に、ちゃんと分かっているのか疑問に思いながら再びドアを閉じる。
 あまり強く言えばまた変にいじけてしまうかもしれないし、ああいう行為に及んだせいで千春のことが嫌いになったと勘違いされるのも、嫌だ。
「……もー」
 それでも恥ずかしいことに変わりはなくて、力なく呻く。
 やっぱり全部、千春ちゃんがわるい。


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