佐和子の事が、よく分からない。
本を読むのが好きで、暑いのが苦手で、携帯電話が嫌いだ。苦味の強いアイスコーヒーには何も入れない癖に、郁が照れるような甘い言葉は平気で囁く。お互い干渉しない事が多いけれど、ふっと思い出したように戯れてくる。
本当に、いつも気紛れだ。
「……どうしよう」
ベッドの上で静かに寝息を立てている佐和子の顔を遠慮がちに覗き込みながら、郁は小さく溜め息をついた。もうどのくらいの間こうしているんだろう。みなみに呼び出された帰りに彼女の部屋まで寄ってみたのは良いけれど、こうもぐっすりと相手が眠っていては何も出来ないではないか。
――もっと、色々としてみたくはなるけれど。
ふいに先日言われた言葉と妙な想像が脳裏を過ぎって慌ててかぶりを振る。鮮明に残る熱い舌の感触ごと手のひらで唇を押さえて、何を考えているんだと恥ずかしく思いながらまた溜め息をついた。
やっぱり、このまま帰ってしまおうか。
「ん……」
「さ、佐和子さん?」
僅かに身動ぎする佐和子にどきりとしながら背筋をのけ反らせる。起こしてしまっただろうかと呼び掛けてみたけれど、返ってきたのは相変わらず静かな寝息だけでほっとした。
結局、またぼんやりと彼女の寝顔を眺め続ける。出会ったばかりの頃はこんな近くで佐和子に触れる事はなかったし、キスだって。
「ああー……」
頭を抱え込みながら死にかけの生き物のような声が出た。確か、こんな状態の事を生殺しと言うのだ。
今日の自分は思考回路がどうかしているのかもしれない。この間からずっとこうだ。変な事ばかり意識してしまう。
やはりもう帰った方がいいなと郁はそっと立ち上がった。そろそろ夕食時だし、頭がまわらないのはきっと空腹のせいなのだ。帰ろう。
そういえば、と高くなった視点からもう一度佐和子の方を見る。
「寒く、ないのかな」
彼女の部屋は大抵いつも体に悪いのではないかと思うほど冷房が効いている。外の熱気で火照った体を冷やすには丁度良いけれど、そろそろ日も落ちるだろうし、郁自身少し肌寒いくらいだ。
何もかけずに眠っている佐和子の腕に軽く触れてみると、剥きだしになった肌はひんやりと冷たい。
そばに払いのけられていたタオルケットを手に取って佐和子の体に被せてから、最後だからと目をぎゅっと瞑りながら唇を重ねる。
柔らかな体温に、くらくらした。
「――襲われてるの?」
「な」
離れた瞬間、佐和子と目が合って硬直する。恥ずかしさで脳が沸騰してしまうのではないかと思った。あんなに起きなかった癖に、何故今に限って目を覚ますのだろう。
熱くなった顔をぶんぶんと横に振る郁に、そう? と佐和子は瞼を擦りながら笑う。
「残念ね。私は気にしないのに」
そんな表情は、反則だ。
「いや、あのね佐和子さん。これは、ええと」
上手く言い訳が出来ず、あからさまに狼狽えてしまう。寝起きであるはずの佐和子よりも鈍い思考であれこれとばらけた理由ばかり話して、つまり何もする気はなかったはずなのだと郁は懸命に説明した。吹き出しそうになるのを必死で堪えるように肩を震わせている佐和子を前に、脱兎のごとく逃げ去りたくなる。
多分、彼女の事より自分の事がよく分からない方が、よほど問題なのだ。