さ) 最近おかしい
あっちゃんは私の恋人だ。私は女の子で、あっちゃんも女の子だけれど、それでも私の恋人だ。
チビの私よりも頭一つ分背が高くて、バスケットボールが上手で、目鼻立ちの整った爽やかな顔をしている。お日様みたいに体温の高い手のひらで頭を撫でてもらって、優しい声で「サチ」と名前を呼ばれるのが私は大変に好きだ。あっちゃんの名前はアキラだけれど、こっちの方が可愛い気がするから、あっちゃん。
その恋人の様子が、最近おかしい。
前みたいにべたべたとくっついてこないし、メールと電話もあまりしてくれなくなった。近場をただぶらぶらと散歩するだけでも私は嬉しいのに、デートも誘ってくれなくなった。
今日だってあっちゃんの部活が終わるのを待ってから二人一緒に帰るようにしたけれど、あっちゃんは話しかけられるのを待っている私の隣りを黙りこくったまま居心地悪そうに歩いているだけで、すごく嫌だ。鞄を持っていない私の右手、つまりあっちゃんがいる方の手は、ずっと空気だけをするすると撫でている。
「……サチ?」
全然打ち込まれてこない無言の会話が空しくなって急に立ち止まった私を、あっちゃんは少しだけ通り過ぎてからやっと気付いたように振り返った。それが恋人にする態度か! と叫びたくなる。
「帰る」
「え、うん、分かった。私こっちだから……」
丁度道が二手に分かれる手前だったから、不機嫌そうに告げたつもりの私にあっちゃんは「じゃあね」なんて別の道に歩き出す。分かったって、何が分かったって言うんだろう。
「あ……」
案外華奢な背中が、どんどん遠くなる。
「……あっちゃんのばーか」
あっちゃんなんか、嫌いだ。
し) 信じられない
私はとにかく腹が立っていて、あっちがあんな態度を取るならこっちだって徹底的にやり返してやるんだと無視を決め込む事にした。それで寂しがって、泣きついてくればいい。許してあげようとは思うけれど、お灸くらい据えてやらなければ。
携帯のメールも電話も着信拒否にして、いつもより1本早い電車で学校に行った。教室はまだ人が少なくてがらんとしてて、グラウンドでは野球部かサッカー部の男子が朝練でわぁわぁ言ってて、いつもと空気が違う気がして落ち着かない。
そういえばあっちゃんもバスケ部の朝練があるんだっけと気付いたけれど、教室にはいないのでほっとする。鞄はあるから多分そのうち来るだろうなと、家でお姉ちゃんから借りてきた普段読まない文庫本を開いた。実際は全然頭に入ってこないけれど、本に集中したふりをしていれば私からあっちゃんに挨拶をしなくて済むだろう。
しばらくぼーっとしていると段々人も増えてきて、あっちゃんが帰ってきた。
横目でちらちら様子を見ていると一瞬目が合ってしまって、まずいと慌てて顔を伏せる。慣れない事はするもんじゃないと思った。
(……あれ)
あっちゃんはそのまま何もなかったように私より右斜め前の方にある席に座ってしまう。
今、確かに目が合ったはずなのに。信じられない。
無視をしてやろうとは思っていたけれど、無視をされるとは思っていなくて、心がしゅんとしぼんで潰れる。
昼休みもいつも二人でお弁当を食べていたのに、私から声をかけずにいてみたらあっちゃんは一人でもそもそと先にお弁当を食べ始めた。それを後ろから眺めながら私も一人でもそもそとお弁当を食べ始める。
あっちゃんは私の事が嫌いになったんだろうか。
お母さんの卵焼きはいつもと同じ味付けのはずなのに、なんだか今日は美味しくなかった。
す) 好きなんだよ
あっちゃんは高校生になって最初に出来た友達で、2年生になってすぐに告白してきたのもあっちゃんからだった。
私はそれまで何度か好きな男子がいた事もあったし、一度だけ付き合っていた事もあったけれど、女子から告白をされるというのは経験がなかったので、これにはとても戸惑った。私の事を好きだというあっちゃんに深く考えもせず友達だから当たり前じゃないかと答えてしまった時の悲しそうな顔は数か月経った今でもはっきり覚えている。
だから、私なりにしっかり悩んだとは思う。女子からとか友達からとかじゃなくて、あっちゃんから告白をされたのはすごく嬉しかった。私たちが親友同士から恋人同士になって、それで初めて手を繋いでみた時は、くすぐったいような恥ずかしいような幸せな感情が胸に溢れていた。
それが、どうだ。
あの時の気持ちがひょっとするとこのまま何も話さなくなって少しずつ消えてしまうのかもしれない。思い付くままに街を二人で探索してみたり、砂浜で裸足になって子供みたいに塩水を蹴飛ばしてみたり、色々な事が出来なくなるのかもしれない。
そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。
私はやっぱりあっちゃんが好きなんだよ。いつの間にかあっちゃんが私の事を好きだと言ってくれた時より、ずっとずっと好きになってるんだよ。
だからせめて理由くらいは聞きたい。今までは友達だった時と変わらずうまくやれてたはずなのに、納得がいかない。
明日はあっちゃんと話をしよう。はっきりと聞こう。
あっちゃんは、私の事が嫌いになったの?
せ) 積極的になれ
朝練の途中に無理やり呼び出したから色々な人に見られたけれど、サチとアキラは(友達として)喧嘩をしているんだと周囲に思われていたから、気にしなかった。
ジャージを着たままのあっちゃんは落ち着き無い様子で後ろをついて歩いていて、そういえばもう一週間は喋っていなかったんだよなぁと私も落ち着かなくなる。バスケ部の部室を拝借する事にして、一応鍵もかけておいた。
「あのね、あっちゃん」
「……ん」
しばらく黙り込んでから意を決して話しかけると、あっちゃんはしょんぼりと肩を落として頷き返す。なんだか私が一方的に責め立てているみたいで少し気が引けた。
「あっちゃんと私って、付き合ってるよね?」
「……うん」
相変わらず、しょんぼり。
「でも、あっちゃん最近ずっと私の事避けてるよね? それって何で? 私はあっちゃんと仲良くやれてたつもりでいたよ? 私の事嫌いになったなら――考えたくないし悲しいけど、ちゃんと言って欲しいし」
「ちがっ……違うよ、違うけど」
「けど、何?」
矢継ぎ早に質問する私にあっちゃんは慌てて首を横に振るけれど、それだけで納得出来るわけがない。続きを促すと、あっちゃんはまるで拗ねた子供みたいな顔をして話を続けた。
――拗ねた?
「なんか、私が一方的にサチに甘えてるだけみたいで寂しくて」
「逆に引いてみたらサチからも甘えてくれるかなと思ったけど、違ったし」
「今更話しかけ辛いし、どうしたらいいか分かんないし、それで、あの」
ぽつりぽつりと言葉を漏らすあっちゃんは、やっぱり女の子なんだなぁと思う。私は自分からするのは照れくさいからってなんでもあっちゃん任せにしてしまっていて、あっちゃんが求めるのとは違う意味で甘えてしまっていたのだ。
あっちゃんは確かに頼りがいのある格好良い恋人だけれど、私は女の子で、あっちゃんも女の子だ。
「ごめん、ごめんね、あっちゃん。私が悪かったんだね」
泣きそうになっているあっちゃんを抱きしめて、うんと背伸びをしながら頭を撫でる。ああ、駄目だ、あっちゃんがすごく可愛い。
大好きな恋人のために、私も積極的になろうじゃないか。
そ) 相思相愛です
「……ねぇ、サチ」
「なーに?」
正座をしている私の腿に頭を乗せたあっちゃんの声はとても困った声だったけれど、私はわざと気付かないふりをしたまま作業を続ける。私の手には細い棒状の竹材が握られていて、あっちゃんの耳の中をずっといじりまわしていた。早い話が耳掃除をしているわけなんだけれど、人にするのって案外難しいんだなと実感する。2回ほど奥まで入れすぎて、あっちゃんが涙目でむせ返った。
「あの、そろそろ刺さりそうでほんと怖いんだけど。もういいから」
「我慢してよ。あっちゃんがしてって言ってきたんでしょ?」
「だってサチへたくそで」
「動かないでってば!」
ひぃんとあっちゃんは情けなく鳴いて、またじっと体を強張らせる。
今日はせっかく休日を二人きりで過ごしていられるんだから、すれ違っていた間の分まで取り戻して、思う存分あっちゃんといちゃいちゃしてやろうと私は心に決めているのだ。この後だってお昼ご飯をあーんとやったり、家で飼っている犬の散歩を一緒にしたり、やりたい事はまだまだ沢山ある。
なのにあっちゃんときたら立場が急に変わったからってどうにも及び腰だ。私が本気で甘えるとまだまだこんなもんじゃないんだぞと言いたいけれど、また喧嘩になっても困るので抑えておく。
「ねー、あっちゃん」
「何?」
動けないあっちゃんの頬を指でぷにぷにとつつく。あっちゃんの体温はやっぱりお日様みたいに高くて、枕代わりにされている足がぽかぽかした。
「んん、やっぱなんでもない」
「なにそれ――あ、サチ痛いっ、そこ違うっ」
「え、わ、待ってよ暴れないで」
あっちゃんは私のことが好き? と尋ねようとしたけれど、やめておく。いちいち確かめなくても、相手が自分を好きかどうかきちんと伝わるようになればいい。
私達は、相思相愛です。
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