【日付が変わるその前に】
「あーあ。曇っちゃったねぇ」
コンビニからの帰り道に歩が夜空を見上げながら残念そうに呟いたので、千春も釣られて顔を上げた。
都会とは言えないような場所にある実家と比べて随分少なかった星が今はもっと数を減らしていて、ぼんやりとした輪郭の月だけが薄黄色く光って見える。あのちかちか点滅しながら移動している赤い星も、多分飛行機か何かだろう。
「うん、雨降ったら嫌だね。洗濯物も面倒だし」
「違う違う違うー。何言ってるの千春ちゃん」
そんなだから恋人のひとつも出来ないんだよと呆れた声で続けられて少しむっとした。いつも自分の側にくっついてばかりの歩に言われたくはないし、千春がいなくなると困るのは彼女の方ではないか。
街灯も人通りも殆ど無い道をこうして並んで歩いているのだって、夜中に突然プリンを買いに行きたいと言い出した誰かさん一人では心配だったからだ。
「今日七夕でしょ? 天の川がなかったら、織姫と彦星が会えないねぇって話だよ」
加えて、お空の恋人達の話である。
最近はあいつらも携帯使って電話どころかメールもしてるし、いちいち天の川で遠回りしなくても高速道路が通ってたりするんじゃないのと歩調を早めながら言ってやると、慌てて追いかけてきた歩が「なんで怒るのよぅ」と腕にしがみつく。苛々している理由なんて、聞かれて素直に話すやつがあるものかと思った。
「お話に嫉妬するなんてかっこわるいよ。織姫と彦星が願い事叶えてくれなくなるじゃない」
「――素敵な彼氏が出来ますようにって?」
子供でも諭すみたいに唇を尖らせる彼女から、なるべく素っ気無く見えるように顔を背けて嫌味っぽく言ってやる。我ながらガキくさいなぁと眉間に皺が寄った。自分は歩の保護者みたいなものだと思っていたのに、今はまるで立場が逆なようで腹が立つ。
「わ、私はもてないわけじゃなくて、好きな男の人がいないだけだもん!」
「へー。まあ、歩と付き合うなんてよっぽど趣味悪い男しかいないもんね」
「なによそれ!」
腕を振り払おうとしても意外にしぶといままの彼女を、引き摺るように足を進めながら言い争う。歩が道の端に向かってぐいぐいと体を押しつけてくるせいで千春が反対側の腕にぶら下げていたビニール袋が何度も壁へぶつかっていたけれど、中身は彼女のものだから注意する気にもなれなかった。
「もー、ほんと感じ悪いんだから。せっかく千春ちゃんとずっと一緒にいられますようにってお願いしてあげようと思ってたのに、他のにしちゃうよ?」
「……別にいいよ。ずっとなんて無理だし」
どうせそのうち悪趣味な誰かと結婚して嫁に行くんでしょと考えながら無愛想に答える。好きとかどうとかそんな冗談ばかり言ってくるけれど、結局は千春を置いてどこかへ行ってしまうに決まっているのだ。織姫と彦星みたいに離れていても心はいつも一緒だなんて、離れて別々に暮らす事自体信じられないのだからとてもじゃないけど理解できない。
それに彼らは恋人同士だけれど、自分と彼女は。
今でさえこんなにも嫌な気分になるんだから、特別になろうとすればもっと嫌な気分になるんだろう。臆病なんて言われてもかまわないから、わざわざ当たって砕けて傷つくよりもこのままでいた方がきっと良い。良いんだと、思う。
「大体さ、偶然近所で生まれて、偶然同じ学校だったってだけでしょ。社会人になったらそんなわけにもいかないし、お互い相手のお守りばっかしてらんないし、私が知らない知り合いも増えるよね。だから――」
「ちょっと千春ちゃん? いい加減私も怒るよ?」
珍しく真剣な顔をした歩に引き止められて下唇を噛む。なんでもない世間話をしただけなのにこんな態度を取られたのでは無理もないと思うけれど、気付いた時には視界が滲んで涙がぼろぼろ零れていたので千春にはどうする事もできなかった。
激昂のあまり泣き出してしまうだなんて、あまりに恰好が悪い。驚いている歩を振りほどいて、手の甲で乱暴に目を擦る。
「だから、歩とずっと一緒なんてすぐ終わりそうじゃん……!」
震えた情けない声しか喉から絞り出せない。拭っても拭っても唐突に襲ってきた不安感で涙が止まらなくて、いっそのこと泣き虫の瞼を縫い付けてしまいたくなった。
保証も無いのにそんな簡単に言わないで欲しいとか、もし誰かが急に歩を奪っていったら自分は本当に馬鹿みたいだとか、そいつより自分の方が何倍も一緒にいたはずなのにとか、そんな意味の言葉を随分不明瞭な発音で喋っていたと思う。
いつの間にか地べたにしゃがみ込んで顔を覆っていた千春の頭を、歩が困ったように撫でた。
「ねぇ、私ってそんなに薄情かなぁ?」
それこそ、そんな簡単に大事な人を乗り換えるように見える? と聞かれて、そうじゃないよと首を横に振る。内心、その大事な人の意味合いが自分と他では違ってしまいそうなのが嫌なんだよという意味も込めて。
そばに放り出してしまっていたせいで中身がぐしゃぐしゃになったプラスチック容器を拾って、歩は怒った様子もなく先に立ち上がる。しゃがみ込んだままの千春に手を差し出されたけれど、自分の両手はどちらも酷く汚れていたので躊躇ってしまった。
「早く帰ろうよ。たぶん千春ちゃん、もう眠くなっちゃうし」
昔から泣くとすごく疲れちゃうもんねと、歩は強引に千春の手を握って立ち上がらせる。しっかり者の姉に連れられた駄々ばかり捏ねる幼い妹のようにとぼとぼと歩きながら、今日は一緒に寝ても怒らないかと聞かれたので素直にうんと頷いた。
明日になればまたいつもの二人に戻ってしまうんだろうけれど、
「お願いなんかしなくても、ずっと一緒だからね」
ぼんやりとした月明かりに照らされた夜くらい、こんな事があってもいい。
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