【君の想いが届かない】

 大体、バレンタインって何の日だ。チョコレート会社の陰謀の日か。
 いつもと同じ道を、いつもと同じ鞄を提げて歩いているはずなのに、登校する千春の足はやけに重い。バレンタインがこんなにも憂鬱になったのは、確か小学校の高学年辺りからだっただろうか。知っている女子も知らない女子も、やたらと千春にチョコをくれるようになったのは。
 高校一年になった去年も例年通りだったのだ。今年もまあ、そうだろう。
 いかにもそわそわしながらそこらを歩いている男子からすると贅沢な悩みかもしれないが、目当ての人間には麦チョコ一粒貰った事がないのに、興味もない同性から好意を示されても困るだけだ。
 溜め息をつきながら通学路を歩き終わると、下駄箱の前でふいに歩が立ち止まる。道中待ち伏せしていた連中のせいで少し距離を置いていたので、今朝はあまり話が出来なかった。
 既に何個か受け取っていた鞄の中の菓子が欲しいんだろうかと首を傾げると、何故か顔を赤らめた歩が、もじもじしながら腕を前に突き出してくる。
――顔を赤らめて? もじもじ?
 誰だお前、と一瞬思う。
 動揺する千春にかまわず、歩は続けた。
「あ、あのねっ、千春ちゃん。これ!」
「……」
 突き出された紙袋を黙って受け取る。弁当でも入っているのかと気にしていなかったのだけれど、それにしてはやけに洒落た袋だ。歩がよく使う弁当袋は、死ぬほどダサいロゴの入った惣菜屋の紙袋が主流だったはずなのだが。大きさが丁度いいからとかなんとか言って。
「みんなには内緒だよ! ぜったい一人で開けないと駄目だよ!」
「え、ちょっ……」
 照れ隠しのように走り去った歩を呆然としながら見送る。まさか、と何度も手元を確認した。
 頭の中を鐘の音が鳴り響く。
 これはひょっとすると。ひょっとするんじゃ、ないか?


「……ふ、ふふ、ふふふふ」
――歩が、私に、バレンタインの、プレゼントを。
――バレンタイン。バレンタインですよ。しかも顔を赤らめて!
 靴も履き替えずに駆け込んだ体育倉庫で、手渡された紙袋を抱きしめながら身悶えする。
 苦節17年。ついにこの日が来たのだ。去年も一昨年もその前も、バレンタインといえば千春が女子から貰ったチョコを指をくわえながら見つめて、「千春ちゃん甘いものそんなに好きじゃないよね? ね? こんなにあるんだし私も食べていいよね!?」などとおねだりしてくるしか能のなかった歩が。何度もしつこいけれどバレンタインにプレゼントを。
「い、今なら死んでもいい……!」
 額を紙袋に押し付けて独りごちた。
 もう、昨日までの生殺しな日々とはさよならだ。あんなに意味深な様子だったのだから、まさか普通の友チョコでもあるまい。
 いつまでも身悶えているわけにもいかず、テープで止められた紙袋の口をそっと開ける。テンションが上がりすぎたせいで指が震えた。
「……軽いわりに、結構でかいけど。何入ってんだろ」
 中に入っていたピンク色の包装紙に巻かれた箱は、よくある辞書と同じくらいの大きさだ。耳元で慎重に揺すってみるとかすかに紙の擦れる音がする。緩衝材が入っているんだろうか?
 いつもがさつな行動しか取らないくせに意外と可愛いところもあるものだ。形が崩れたら台無しになる、という事だろう。
「まあ、ハートとか、割れたら嫌だしね……」
 どうも先程から独り言を言ってばかりだが、希望なんぞを述べてみる。
 ああ、ハートだったらどうしようか。本命確定じゃなかろうか。
 はやる気持ちを抑えながらそばにあった跳び箱の上に箱を置き、丁寧に包装紙を剥がした。この包装紙も一生の宝物にする予定なのだ。破くなんてもってのほかだろう。
「――あ?」
 中を目にして、間抜けな声をあげる。
 タッパーだった。
 青い蓋で、プラスチック製の、歩のおばさんが煮物をお裾分けしてくれる時なんかによく使う。
 どこからどう見ても、完全無欠にタッパーだった。半透明になっているから分かるが、甘くとろける茶色い魅惑菓子が入っている様子は微塵もない。空のタッパーだ。
「……」
 無言で蓋を開けると底にルーズリーフを破った紙切れが敷いてある。
 千春はそれをひきつった頬で読み上げた。声に出す事で、怒りが少しは和らぐ気がしたのだ。
「――貰ったチョコは各種類まんべんなくこれに入れてから返してね! 去年は知らない子にも怒られちゃったから、今年は空気読んでカモフラージュしてみたよ。やっぱり自分が千春ちゃんにあげたチョコを私が食べちゃうって分かると悲しいもんね。それじゃ、内緒でよろしくね! 歩より(はぁと)」
 さっきまで浮かれていた千春の空気を読んでくれる気はないのだろうか。
 今なら、死んでもいいと思った。


「あ、千春ちゃん! すごいよすごいよ! これは新記録じゃないかな!」
「……」
「えっと、当然私は貰わないからね! だって千春ちゃんが貰ったんだもんね!」
「……歩」
 みっちりとチョコの詰まった机の引き出しを指差しながらはしゃいで、ばしばしとわざとらしく目配せをしてくる歩に満面の笑みを向けた。右手にぶら下げたまま背中に隠していた空のタッパーをそっと持ち上げる。
「うわ、だ、だめだよ千春ちゃん! それ早く隠し――へぶっ!」
「――このアホ! ボケ! 何がカモフラージュだ! アホ! もっぺんアホ!」
 慌てる歩にタッパーを投げつけて怒鳴り散らす。両のこめかみに拳を押し付けて、半泣きになるまで力を込めてやった。周りの生徒がみるみる引いているが、そんなのはどうでもいい。
 べそをかきながら謝ってくる幼馴染みを、どうして自分は好きなのかなぁ、と。
 一人で大量のチョコを消費する方法と一緒に考えながら、千春はうんざりと息を吐いた。


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