【福はうちうち、となりんち】
2月の定番行事と言えば何か、と聞かれたら。
そこは高校一年生、世の標準的な女子の常として思春期真っ盛りの美夏としては、バレンタインであると答えるしかない。ケーキ屋は勿論、デパートにスーパー、コンビニですらきらびやかに包装されたチョコレートが並ぶ季節なのだ。意識しないでいる方が無理がある。
想い人のいる身の上として、今年は何を渡そうかと胸を弾ませる日々を送っているわけだ。たとえ想いが伝わらないとしても渡す事に意義があるのだし、いっそ手作りに挑戦してみてもいいかもしれないな、なんて考えたりもしつつ。
「……あのね、歩さん。言い辛いんだけど」
「なに?」
そんな中で隣人の夕食にお呼ばれした美夏は、台所に立ってうきうきとはしゃいでいる歩に遠慮がちに声をかけた。奥にあるリビングでは千春が何もかも諦めたような顔で――もっとも彼女は幼なじみの突発的な行動に対してはいつもこんな感じだ――ソファーに腰掛けながら煙草をふかしていて、自分如きが言ったところで止められないとは思うのだが。
「ええと、日本の伝統は大切にしないとっていうのはあたしも分かるんだけどね」
ちらりと、歩の手元を見やる。
網で焼かれた大いわし3匹。太巻き3本。これだけならまあ、わぁい今夜は焼き魚と巻き寿司だぁ、と流す事も出来る。
升に入った炒り豆と、鬼のお面と、新聞紙で作った棍棒が何とも言えぬ存在感を醸し出している辺り、お前も乗ってこいと全力で誘われているけれどさすがに――
「……さすがに、この歳で豆まきは恥ずかしいんだけど」
確かに、昔は毎年楽しみにしていた。学校でもまいたし、家でもまいた。
だがそれも小学校までの話だ。節分なんて小さい子のためのおまけ程度にしか考えていなくて、恵方巻きの広告を見てもバレンタインフェアにすぐかき消されてさっきまで忘れていたのだから。
眉間に皺を寄せる美夏に、歩は唇を尖らせながら先程までちょいちょいひっくり返していたいわしを皿に取り上げる。魚は武士に焼かせろと昔から言うだけあって、落ち着きのない彼女の作った焼き魚は少々身が崩れていた。
「もー。美夏ちゃんまで千春ちゃんと同じ事言うんだから。楽しいじゃない、節分。豆まく機会なんて年に一度しかないんだから、やらないと損だよ」
「いや、去年は何もしなかったでしょ?」
「だって幼稚園の前通ったらやりたくなったんだもん」
はいこれ、と問答無用に升を手渡されて閉口する。大学生が幼稚園児を羨ましがってどうすると突っ込みたかったけれど、そういえば前にも公園で見かけたままごと遊びに触発された歩に付き合わされた事を思い出した。
あれはまあ、結構楽しかったのだ。この年上の友人がやらかす思いつきは、本気で付き合えば後悔する事がまずない。
かといって、高校生と大学生で豆まき。むなしいにも程がある。
「さ、千春ちゃんも立って立って! まくよ! 豆を!」
「……」
意味もなく倒置法を使って強調する歩に腕を引かれて、千春が面倒臭そうに腰をあげる。灰皿で煙草を揉み消すと、無言のまま美夏のそばに歩いてきて豆を掴んだ。
「鬼はー外、福はー内。はい終わり。美夏ちゃん、ご飯食べよっか」
「……あの、千春さん」
ぞんざいな仕草で玄関に豆を放りながら棒読みで呟くと、やり遂げた様子で美夏に笑顔を向ける。一緒に流したい衝動を堪えて、そっと右手を上げた。
「……さすがにそれだと、歩さん泣いてるみたいなんで。やっぱちゃんとした方が」
「ああああ、めんどくさいなもう!」
部屋の隅で体育座りを始めた歩を指差してみると、千春がうんざりと頭を掻きむしりながら踵を返す。なんだかんだ言っても、幼なじみを放ってはおけないわけだ。
毎度のパターンだけれど、歩も千春もお互い分かってやっているのではないかと時々思う。わがままを言う、面倒だと断る、何でよといじける、結局渋々付き合う。この流れを楽しんでいる節が二人には見受けられるわけで、それがまた、少し羨ましかったりもした。
「ほら、ごめんって歩。ちゃんと節分するから。豆まいて、無言で太巻き食べるから。いわしの頭も吊るすから」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。ね、美夏ちゃん」
「まあ、懐かしいですもんね」
ぐずぐずと鼻をすする歩の頭を撫でる千春に、苦笑しながら答える。わがままを聞いてしまうのは、美夏も同じだ。
どうにも憎めないからこそ、恋敵にはなれない。
「あのね、じゃあ、私が最初に鬼やるからね!」
ぱっと輝きを取り戻した歩が、意気揚々と立ち上がってお面と棍棒を手に取った。本気でやらないと駄目だよと念を押しながら玄関を出ていく歩を見送って、千春と顔を見合わせながらくすくすと笑い合う。
まったく、しようのない人だ。
豆を握った手を軽く振りかぶって、歩を待つ。
待つ。
待つ。
「……なんか、遅いですね」
「……はりきってるのかな」
なかなか入ってこないのを不審に思って首を傾げる。と、ようやくぎぃと音を立てながら扉が開いた。
さっきまでの盛り上がりはどこへやら、意気消沈した歩が力無く棍棒をぶら下げて、呟く。
「――やっぱ、やめにしよ」
「はい?」
「……今、お面してたら管理人のおばちゃんに見られちゃって。鼻で笑われてすごい恥ずかしかった……もうやだ……二人とも、なんで止めてくれないのよぅ……」
あれだけ人を振り回しておいて、それか。
再び千春と顔を見合わせる。お互いの考えが手にとるように分かるとはまさにこの事だろう。
そう、今、千春と美夏の心は一つだ。歩には悪いが、二人の距離が近付いた瞬間かもしれない。
「いたっ、痛い! え、なんで怒ってるの!? なんで!?」
無言で豆をぶつけられ始めた歩が節分なんてもうやらない! と拗ねてしまったのは数分後の事なのだけれど、その後恵方を向いて太巻きを食べる頃にはすっかりご機嫌なご様子で、来年も三人で食べようね、なんて笑っていた。
当たり前のように人数に含まれているのが嬉しくもあり、邪魔じゃないかなと複雑でもあり。
仲が進展しないのも幸せなのかなぁと、黙々と太巻きを咀嚼しながら美夏は肩をすくめた。
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