【正しいクリスマスの過ごし方】

 クリスマスツリーの飾り付けだなんて、何年ぶりだろうか。
 はさみで切り取った折り紙をテープで止めたわっかをいくつも繋げながら私――宮木杏子はぼんやりと考える。
 末っ子である私には5つと3つ離れた姉が二人いて、小さな頃は誰が天辺にある星を飾るかで毎年のように喧嘩をしたものだけれど、残念ながら今はもうそんな光景を微笑ましいと思える年ではない。現に埃を被った人工製のツリーを物置から引っ張りだしている私を、家族は「一体何をしてるの」と目を丸くしながら眺めていた。
 もっともこれには、私が暇さえあれば数学の問題集をガリガリと解いているような生真面目な娘だと思われているせいもあるかもしれない。あれはただの趣味であって別に特別勉強が好きなわけではないのにと説明した事があるけれど、机に座るより外で運動をする方が好きな姉達は自分の妹が理解できないといった表情で肩を竦めていた。
「どう? 進んでる?」
「……柊姉も手伝ってよ」
「だめだめ。友達呼ぶからってツリー出したのは杏ちゃんでしょう」
 上の姉である柊――ヒイラギと書いてシュウと読む――が日曜の朝から飾り付けに悪戦苦闘している私を茶化しにやってきたので唇を尖らせる。大体こういうのは当日にするものじゃないよとカレンダーに目をやりながら言われたけれど、昨日は部屋の掃除をしたり経験もなかったケーキを焼いたりと忙しくて、とてもそんな暇は無かったのだから仕方ない。
 これも全て、街でぶらぶらするだけの気でいたのを24日は私の家に行きたいと言い出したあいつが悪いのだ。
「随分張り切ってるけど一体誰が来るの? 彼氏?」
「別に張り切ってるわけじゃないし、来るのは女」
 男ならいびってやろうとしたのにつまんない、と鼻を鳴らされる。どうもこの姉は私の事をおもちゃにしたがる傾向にあるのだが、妹の連れまで一緒くたに苛める気でいるなんてたまったものではない。家に来る彼女――杉村なら、平気だとは思うのだけれど。
 そう、杉村奈津がクリスマスイブにやってくるのだ。今から二ヶ月と少し前に私の恋人となった、あの美しくもわけの分からない生き物が。
「咲ちゃんに手伝って貰えばいいじゃない。あの子、こういうの好きでしょう」
「咲ちゃんはまだ寝てる。昨日彼氏に振られたとか言って自棄酒してたから」
「また?」
 三姉妹の真ん中に位置する咲良が、寝ている私を叩き起こして酒臭い息を吐きかけながら男の愚痴を零し続けていたのを思い出してげんなりと顔をしかめる。
 確かに二股かけられてるのは気付いてたけど、何もクリスマス前に別れようはなくない? ねぇ? ちょっと寝ないでよ杏ちゃん。眠たいとか関係ないって。あんた姉ちゃんの事嫌いなの? 慰めようとかそういう気は、うぷ、待って気持ち悪くなってきた。うぇぇぇ。
 トイレに駆け込んで盛大にげーげーとやり始める姉に「いつも顔だけで選ぶからでしょ」とはさすがに言えなかったのだが、真夏の打ち上げ花火のようにぱっと燃え上がってはすぐに消えていく姉の恋愛癖には妹としていい加減心配になる。そのうち容姿だけが取り柄のろくでもない男と結婚するなんて言い出したらどうしようかというのが、我が家の悩みの種の一つだった。
「おはよー……」
 その咲良が寝癖のついた短い髪の毛を手のひらで押さえ付けながら私達のいるリビングまで降りてくる。冷蔵庫にあったミネラルウォーターの大きいペットボトルに直接口付け、寝間着のまま浴びるように飲んだ。
「あー頭痛い……二人とも何やってんの? 七夕飾り?」
「どこからどう見てもクリスマ」
「やめて! そんな言葉聞きたくない! 耳が取れる!」
 大袈裟な仕草でかぶりを振られて溜め息をついた。そんな事でいちいち耳が外れるなら、今夜辺り我が家の床は姉のピアスまみれの耳で埋まっているはずだ。
 気を取り直して飾り付けの作業に戻る。にやけ笑いをしている微妙な顔立ちのサンタクロース人形を枝の先にぶら下げてみたけれど、可愛いというよりも何だか笑顔で首吊りをしているみたいでシュールだ。
「ていうかさ、杏ちゃんは誰呼ぶの? 私もまぜてね暇だから。もうすっごく暇になっちゃったから。お酒買ってくるから柊姉あとで車出してよ」
「邪魔しちゃだめよ咲ちゃん。杏ちゃんはね、彼氏呼ぶんだから。たまには二人でのんびりしてきなよなんてわざわざ父さんと母さんをそそのかして、温泉一泊旅行まで行かせてるのよ? 私達も、妹さんを僕に下さいとか言われるに決まってるわ」
「は!? ど、どんなの? かっこいい? ねぇかっこいい!?」
「だから女だってば!」
 杉村が来るのは夕方のはずだからそれまでに料理の準備もしなければいけないのに、果たして間に合うだろうか。
 うろちょろと纏わりつく姉二人を怒鳴りつけて、私は痛む頭を抱えた。


「こんにちは、宮木さん」
「……あのね杉村、今何時?」
「4時を少しまわったところだよ」
 玄関先で鳴ったチャイムを宅急便か何かだろうかと勘違いしてエプロン姿のまま出てきた私が脱力していると、杉村は天使のような笑顔でなんの悪びれもなく言ってみせる。その格好も似合うねと褒められたけれど、まだ何の準備も出来ていないこんな状態では素直にありがとうとも返せなくて首の後ろを掻いた。
「駅まで迎えに行くっていったのに」
「さぷらいずっていうのをやってみたくて」
 確かに驚きはしたけれど、サプライズというより寝起きドッキリの方がしっくりくるのではないかと杉村が脱いだコートを受け取りながら思う。
 寒いからとりあえず家の中にあがって貰おうと扉に手をかけようとして、ふいに彼女が手にしているスポーツバッグが目に付いた。ただ遊びにきただけにしては、やけに大きい。
「ねぇ、それ何?」
「着替えとか、歯ブラシが入っているよ」
「……何で?」
「宮木さんがよければ泊まらせて貰おうかなと思ったから。だめ?」
 可愛らしく小首を傾げられて断るに断れなくなる。この生物は多分、自分がとても愛くるしい外見をしていると分かってやっているのだ。生まれたての動物が教わらずとも上手く生きていける術を知っている本能と同じで、何の計算もない所が末恐ろしい。それにころりとほだされてしまう自分も自分なのだけれど、これも咲良と血が繋がっているせいかなと最近よく実感する。
 姉が家にいるから一応聞いてみてからだと説明すると、杉村はありがとうと私に思いきり抱き付いて頭を擦り寄せてきた。赤くなりながらも、恋人なのだからキスのひとつでもするべきなのだろうかと考えて彼女の顎を指で持ち上げてみる。
「ねー杏ちゃん、友達来たの?」
 扉越しに無遠慮な咲良の声が聞こえて、ぎくりと杉村から体を離した。玄関を閉めていたから良かったものの、学校では杉村が誰とべたべたくっついていようが別段気にされる事は無かったので頭がすっかりぼけてしまっていたようだ。家があるのは閑静な住宅街だから幸い人通りもなくて、私はわざとらしく咳をしてから中に入るよう杉村に勧める。
「もう少しで宮木さんからキスして貰えそうだったのにね」
 残念そうに小声で呟く彼女には、やっぱり計算している部分もあるかもしれなかった。


 色鮮やかな野菜を使ったサラダに、お腹に詰め物をしてこんがりと焼いた七面鳥。魚介類をたっぷり入れたパエリアと、小さな皿に盛り付けた数種類の副菜。ケーキはブッシュドノエルで、シャンパンは少し奮発した高価なものを。
「イメージ的にはそんな感じなんだけど」
「これはこれで家庭的だし、良いと思うよ」
「どうもありがと」
 予定より随分早く到着した杉村と台所に並んで立った私は、スーパーで買ってきておいた食材を前に肩を落とす。彼女がいわゆるお約束というか王道的なものを好む事は知っているので――それも一般とは少しずれた感性で。自宅に招くのではなく外食にするのだったら、夜景の見えるレストランでワイングラスを傾け君の瞳に乾杯とでも言えば喜ぶのではないかと思うほどの――海外のアニメ映画なんかを見て勉強してはみたけれど、財布と胃の許容量を現実的に考えるとさすがに無理がある。自分の料理経験も重ねて考えるともっと無理だ。
「ポテトサラダと、鶏腿の照焼きと、キノコのリゾットを作るの?」
「……紙パックのコーンポタージュと子供用のシャンパンは買ってきたし、ブッシュドノエルは昨日何とか作ったから」
 なので、結局そんなメニューに落ち着いた。
 料理のレシピ本をぱらぱらとめくる彼女は案外満足そうだったので、先ほど暖房の効いた家に入った途端に気温の違いから眼鏡を真っ白に曇らせた私を見てけらけら笑っていた無礼は忘れてやる事にする。ちなみに妹の客人を物珍しそうに見物しようとする姉達は邪魔なので別の部屋に閉じ込めておいた。
 何から手を付けるべきなのか思案している私とは対照的に杉村は包丁を使って器用にじゃがいもの皮を剥きはじめたので自分もそれに倣おうとして、ちょっと待ったと手を止める。
「これ、皮は剥かずに茹でるんじゃないの? 本に書いてあるじゃない」
「先に剥いた方が楽だよ」
「楽とかそういう問題じゃなくて、ちゃんと書いてある通りにした方が――むぐ」
 開いたままのページを指差して細々と注意しようとした口を指で押さえられて目を白黒させた。じゃがいも臭いので、せめて水で洗ってからにして欲しい。
「私が思うにね、宮木さんには臨機応変さがいまいち足りないと思うよ」
 黙って俺について来い、というセリフが頭に浮かんだ。
 根無し草のような杉村から見れば確かに私の頭は多少堅いだろうが、別に料理の工程に臨機応変さを加えなくとも良いではないかと思うのだ。この材料じゃなくてこっちを入れてみようよだとか、いちいち計らなくても目分量で何とかなるものだよだとか、せっかくプロがレシピという名の設計図を書いてくれているのにそれに従わないというのはどうも不安になってしまう。
――しかし現実は私の気持ちとは裏腹に、案外まともに進んでいくもので。
「おいしい?」
「……美味しいです」
 結局料理の殆どを杉村が作ってしまって、その上味の方も敬語を使ってしまう程良くて、味見用のスプーンを咥えたままの私は端的に言えば少し面白くなかった。今日は私が彼女をもてなす日のはずだったのに、これではまるで立場が逆だ。
 出来上がった料理を皿に盛り付けて、リビングにある食卓に四人分並べていく。私の部屋に半分だけ運んで食べる予定だったのだけれど、杉村の希望で姉達も一緒にする事になった。これも少し、面白くない。
「じゃあ、私がお姉さんたちを呼んでくるね」
 自分こそ一人出かけてきた癖に、家族は大切にするものだよと言って杉村は階段を上がっていく。日頃使わないシャンパングラスを食器棚の奥から取り出しながらこっそりと溜め息をついた。
 二人きりが良かったのだ、私は。
 学校ではいつも杉村の周囲は人で溢れていて、放課後一緒に帰ろうとしても彼女は相変わらず色んな部活に遊びに行っていて、純粋に宮木杏子と杉村奈津だけが同じ空間に存在していたのは考えてみれば片手で数えるほどしかない。
 だからクリスマスくらいはと思っていたのだけれど、柊は恋人との予定を前倒しにして家にいるし、咲良はあの調子だ。
 杉村が私の隣りにいるだけでは物足りないのは、欲張りだろうか。
「あ、結構すごいじゃん。じゃんじゃん。マジで杏ちゃんが作ったの?」
「……杉村と作ったんだけどね。ていうか、何で咲ちゃんはもう酒臭いの?」
「暇だから部屋で柊姉とちょっと飲んじゃったー」
 背中から抱き付いて料理を眺める咲良を鬱陶しげに引き剥がして半眼で手元に握られたワインボトルを見やる。杉村と連れ立って階段を下りてきた柊は、彼女の髪の毛をいじくって中途半端な長さの三つ編みをいくつもこさえながら楽しげに笑っていた。
 あまりに私の理想とはかけ離れていて、また溜め息が出る。
「奈津ちゃんは良い子ねー。うちの杏ちゃんったら勉強ばっかりして、もう全然構ってくれないのよ。ウザいからあっち行ってなんて言うの。酷いでしょう?」
「うん。それはお姉さんが可哀相だね」
「嫌だわお姉さんだなんて。お姉様でいいのよ、お姉様」
「おねーさま?」
「ちょっと、やめてよ柊姉! 杉村もそんな酔っ払いに付き合わなくていいから!」
 苛ついているのを隠しきれずに姉と戯れついている杉村を椅子に無理やり座らせる。人にあれこれ言う前に、彼女こそ臨機応変さや人懐こさを控えるべきだ。
 杉村の隣りに私が座って、何を拗ねてるのかしらと顔を見合わす酒臭い姉達が向かいに陣取る。ふらつきながら新しいボトルを取り出してきた咲良が早く食べようと急かすので、勝手にすればとむくれながら鶏肉を囓った。せっかくのクリスマスなのに、ロマンチックのかけらもない。
「あ、杏ちゃん達が飲んでるのアルコール入ってないやつじゃん。それじゃジュースだよ。奈津ちゃんこっち飲まない?」
「だから杉村はこれで良いんだってば! 勝手な事しないでよ!」
「うわ、マジギレしてる。こわー」
 杉村のグラスに酒を注ごうとされてテーブルを叩くと余計におちょくられて頭にカッと血が上る。人が本気で怒っているのに、その態度は何なのだろう。これだから酔っ払いは嫌いなのだ。理路整然としていなくて、答えがいくつも分岐する。
 一瞬きょとんとしていた杉村はすぐにまたにこにことした表情に戻って姉達の酌を始めたけれど、そうやって愛想を振りまくくらいなら私の事も気にしたらどうなんだろう。
 家になんて、呼ばなければよかった。
「そ、そういえばね。杏ちゃんケーキ作ってたじゃない? 私が持ってくるから、ちょっと早いけど食べない?」
 ふいに立ち上がった柊が冷蔵庫で冷やしておいたブッシュドノエルを持ってきてしまって、私の許可もなく取り分け始める。チョコレート色をした塊にナイフが刺さって小皿に移された。
 べしゃりと、小さくなったせいでバランスを崩したケーキが横に倒れる。
「あ。ごめんね、これは私が食べるから――」
「……私いらない。もう勝手にしなよ」
「宮木さん?」
 席を立つ私を見上げる杉村を置いて、足早に階段を上って二階にある狭い自室に閉じこもる。何もかもが面白くなくて、眼鏡を外してベッドに顔を埋めた。
 あのケーキは、私が杉村のために作ったのだ。何度も失敗して、台所を卵の殻と粉だらけにしながらスポンジを焼いて、服をべたべたに汚しながらクリームを塗ったのだ。人数分に取り分けるんじゃなくて半分に大きく切って、片方だけを二人でフォークでつつきながら食べる予定だったのに。
 それを全部台無しにされて悲しくなる。これなら、マクドナルドでハンバーガーを食べた方がずっとましだ。
「わ、寒いね。暖房をつけた方がいいと思うよ」
 ノックもせずに部屋に入ってきた杉村が隅に置いてあるファンヒーターの電源を入れて、寝そべった私のそばの床に膝立ちになる。頭を撫でながら何が嫌だったの? と尋ねられたので、小さな声で全部と呟いてやった。杉村が私よりも姉達の方と仲良くしていたのが嫌だし、二人きりになれないのが嫌だ。だって、杉村の恋人は私のはずだ。
「宮木さんは、結構焼きもち屋さんなんだね」
「……そうかも」
 くすくす笑う彼女に末っ子なのだから仕方ないじゃないかと顔を向ける。細い指で喉をくすぐられて、こそばゆかった。
「もう、何? くすぐったいじゃない」
「うちで飼ってる猫は私がかまってあげないとすぐ機嫌が悪くなるけど、こうしてあげると喜ぶよ」
「猫と一緒にしないでよ……」
 まだくすぐろうとする杉村の手を取りながらついた溜め息と一緒に、血液の代わりに身体の中を循環していた嫌な毒気が不思議と抜けていった。
 十七年も付き合っているのだから咲ちゃんなりに杉村に気を使おうとしていたのは分かるし、柊姉がギスギスとした雰囲気を和らげようとしてくれていたのは分かる。でも私は姉達と比べるとまだまだ子供用のシャンパンがお似合いの歳で、きっと格好をつけて大人ぶるのが苦手なんだろう。
「ねぇ、杉村」
「なぁに?」
 体を起こして杉村をベッドの上まで抱き寄せる。柊にいじられた三つ編みを解いて、ゆるく癖のついた色素の薄い髪の毛を指に絡ませた。
「宮木さんじゃなくて、名前で呼んでよ」
「杏ちゃん」
「それは勘弁して」
 心底嫌そうな声で言うと彼女はまたくすくす笑う。私の頬に唇を押し当ててから耳元でもう一度名前を呼んだ。
「杏子」
「……奈津」
「杏子」
「奈津……あああ、なんか恥ずかしくなってきた」
 お互いの名前を何度も呼んでから両手で顔を覆う。けろりとしている杉――奈津は、言い出したのは杏子なのにねと私の喉をくすぐりながらキスをしようとしてきたのでストップをかけた。
「待って、歯磨いてくるから。絶対チキン臭い。……あと、お姉達にも謝ってくる」
「うん、それが良いかもしれないね」
 立ち上がって咳払いをする私に、ついでにもっとお酌をしてきた方がいいよと彼女は助言する。
 何故だと聞いてみると、奈津は天使のような顔で微笑んでみせた。
「だって、今夜はお姉さん達にぐっすり寝ていてもらわないと困るような事を杏子としようかなと思って」
 ごつんと扉に頭をぶつける私は、相当格好が悪いと思った。


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