【永遠の一瞬】

 声は神様だ。
 どこがどう、と聞かれても困る。私が生まれるずっと前から声はこの町の神様で、それを当たり前に思っていたから理由を考えた事もない。空が青いのも太陽がまぶしいのも犬がわんと鳴くのも猫がにゃーと鳴くのもポストが赤いのも声が神様なのも、全部全部そういうものだからそうなのだ、としか答え様がない。
 若葉の名前はあたしがつけてあげたんだよ、とせんべいを齧りながら声が言った。
 まだ妊婦だった母が商店街で買い物をしている最中に声と出会い、やあ、春頃に女の子が産まれますね。若葉ちゃんなんて可愛いと思いますよ。それもいいですね。考えておきますね。なんて世間話を交わした結果の名前が若葉なのだそうだ。まるで夕飯のメニューでも決めるような手軽さで命名されてしまった私にとって、母と声が何度も話すこのエピソードはあまり面白いものではない。
 声は町の外れにある神社でのんびりと暮らしている。小さな町なので、学校の終わった子供は大体がそこの境内でよく遊んだ。私もそのうちの一人で、高校生になった今でもたまにお菓子だのジュースだのを持って声の所に遊びに行く事にしている。もっとも、声に会えるのは神社だけではない。一人で引きこもるのは健康に悪いし暇だからと、私と同じ高校に通っているのだ。
 セーラー服の似合う若者言葉の神様というのはいかがなものだろうか、と常々思っているけれど、相手は声だから仕方がない。どうせ、似合うならいいでしょと答えられるのがオチだ。神様の威厳というものが声にはまるでない。
「声はさぁ、好きな人とかいないの?」
 私もせんべいを齧りながら隣に座る声をぼんやりと眺めた。
 近頃の子供は外で遊ぶよりも家の中でゲームをして遊ぶ事が多いので、境内もすっかり寂れてしまった。こうして賽銭箱の横に並んで腰掛けてからかれこれ2時間近くなるが、お参りにくる人も滅多にいない。そりゃ学校にでも通いたくなるよなぁと実感してしまう程の人気のなさである。
 学校で会えるのにわざわざ神社まで通うなんて、若葉はほんとに声が好きだね、と友人に言われてしまう辺り、声が日常に溶け込みすぎてありがたみが薄れてしまうのかもしれない。
 またその話ー? と声が笑う。
「どうかなぁ。好きになっても、先に死なれちゃうからなぁ」
「声は死なないの?」
「わかんないけど、若葉が今みたいに遊びに来てくれるうちは大丈夫じゃない?」
「わかんないんだ」
「生きてても、忘れられたら死んだようなもんでしょ」
「ふぅん」
 私はまだ十六年しか生きていないので、声の気持ちはよく分からない。たぶん、町の誰にも分からないだろう。
 神様のくせに、日常に溶け込みすぎる声が悪いのだ。みんなみんな、声は特別な存在なのだという事を気にしなくなる。声がそこにいるという事は当たり前の事で、そういうものなのだと信じて疑わない。私だってそうだ。声は特別な存在だと時々忘れてしまうから、知らないうちに、いつもそこにいる声を当たり前に好きになっていってしまう。
「ねえ、声とちゅーしたい」
「……若葉はあんまり人の話聞かないよね」
 困り顔の声を無視して、勝手に唇を押し付ける。暗にあたしを好きになってくれるなと言っているのは分かるのだけれど、はいそうですかと諦めるわけにもいかない。
 何度好きな人を尋ねても、何度無理やりキスをしても、声はのらりくらりと答えをかわす。昔からずっと変わらない声はきっとこれからも変わらなくて、私だけがおばあちゃんになって死んでしまう。私が声の事を何も考えられなくなっても、声は私の事をずっと覚えている。
 私にとっての今は、声にとっての永遠なのだ。終わりの見えない今が積み重なって、今の声がいる。声は綺麗だから私みたいに我侭な人間に何度も付き合わされて、何度も何度も悲しい思いをしたんだろう。
 想われる事が声の命だ。誰かが覚えている限り、声は死なない。
「私は、声が好きだよ。ずっと好きだよ。絶対に忘れないよ」
 声はやっぱり答えずに、困った顔で笑った。


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