【平行線】
生まれて初めて恋人が出来た。
インターネットで出会った優しくて格好良い年上の大学生で、駅の近くにある喫茶店でアルバイトをしている。一人暮らしをしている真新しいアパートには何度か遊びに行かせてもらった。綺麗好きで、料理だって上手だ。たまに勉強も教えてくれるけれど、こんなの高校で習ったっけなぁ、と苦笑いをしたりもする。
自分にはこれ以上ないほど素敵な人だと思う。本当は、親や友達に何度も自慢してやりたいけれど。
「あー、ごめんね、雛ちゃん。待った?」
「――奈緒さん!」
自慢してやりたいけれど、まだ怖くて出来ていない。
申し訳無さそうに頬を掻く奈緒に、私も今来ましたから、と雛子は首を横に振る。本当は久しぶりに会えるのが嬉しくて1時間前からこの待ち合わせ場所の公園で待っていたのだけれど、それは内緒だ。
健気ならまだ良いけれど、重たいとか疲れるとか、そんな風に思われては困る。
「里帰り、楽しかったですか?」
「んん、別に普通かなぁ。あ、これお土産」
隣り同士ベンチに腰掛けながら紙袋を受け取る。このところ奈緒に会えなかったのは彼女が遠く離れた実家に帰省していたからだ。とにかく移動が面倒だからと、たまにしか帰らないらしい。
中には地元の名産らしいよく分からないデザインの置物が入っていて、正直、あまり若い人向きではないセンスをしている。まぁ好きな人から貰えるなら何だって嬉しいけど、と雛子は頭の中でこっそりと惚気てみた。
たまには、もっと恋人らしい物も欲しいけれど。例えば、指輪のような。
「……あー、そういや、うちの幼馴染みがさ」
何ですか? と続きを促しながらも、またあの人の話なのかと溜め息をつきたくなる。
何かと会話に出てくるあの人の名前はいつも心の片隅に引っ掛かって離れてくれない。自分の何倍も奈緒の事を知っている存在があるという事に嫉妬を覚えてしまうし、うちのうちのって、向こうには雛子の事をうちの恋人が、なんて話してくれる事はきっと無いんだろう。
それでも気付けばいつもあの人の話ばかり聞いている。少し、嫌だ。
「それで、なんか」
「はぁ」
早く終わらないかなとついぼんやりしてしまっていたけれど、いつも楽しそうな話が今日はえらく歯切れが悪い。
奈緒が俯くように頭を抱えて、足元の土を爪先で軽く蹴った。
「なんか、結婚するんだって。大学出たら」
「え?」
自分達とは、なんだか縁遠い単語が聞こえた気がした。
「あ、えっと、結婚って、誰と?」
「誰って」
慌てて、随分と馬鹿な事を聞いてしまった。あの人は女性だし、ここは日本だ。
結婚といえば大体の場合は聞くまでもなく、
「そりゃ、彼氏とでしょ」
高校からなんて馬鹿みたいに続くよねぇと彼女は乾いた笑い声を漏らす。
現役高校生の恋人を前にして、その台詞はちょっと無いだろう。
「そう、なんですか」
「うん」
「……ええと」
どう見ても奈緒が喜んでいるとは思えなくて、おめでとうを言っていいものか迷った。
彼女にとってあの人は本当にただの幼馴染みなんだろうかといつも思うのだ。あの人の名前を口にする時の奈緒はあんなに嬉しそうで切なそうで、まるで恋でもしているみたいだから。
自分がいるのに。
「私が男だったらさぁ」
奈緒がぽつりと呟いてから尋ねた。
「雛ちゃんは、結婚とかしたい?」
「私は――」
柔らかく、無意識に傷付けられて泣きたくなる。
分かって聞いているんだろうか。雛子も奈緒も、同性しか好きになれないのに。あなたが男だったら、恋人にはなっていなかったかもしれないのに。あなたが男だったら、自分ではなくあの人の隣りにいたかもしれないのに。
彼女と一緒にいられる事は、幸せだけれど、残酷だ。
「……ごめんね、変な事聞いて」
黙り込んでしまった雛子の手を握って奈緒は立ち上がる。首を横に振ってその手を強く握り返した。
彼女がどんな事を考えているかなんて、気付かない。自分はまだ子供だから、ただ無邪気に甘えていればいい。彼女の部屋に大切にしまってあったあの人の写真が自分に少し似ていたからって、そんなの知らない。
どこかで美味しいケーキでも買って、家で一緒に食べようか。寂しそうに笑う奈緒と繋いだ手のひらがむず痒かった。公園を出て、いつもよりゆっくりと歩く。
途中、小さな子供の手を引く若い母親と擦れ違った。
「たまにね。好きだった人が男とセックスして、子供を産んで、お母さんって呼ばれるんだと思うと、どうしようもない気分になるよ」
好きな人の、間違いでしょう?
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