【ほろ酔いの四分の一】

 社会人はストレスと戦うものなのですと、祖母は言った。
 着物に鉢巻き、薙刀が似合うような老人だった。ぶらりと現れては酒を飲んでくだを巻く私からグラスを取り上げてこんこんと説教をし、曾孫の顔を見るまで死ねないと口癖のように言う。おばあちゃんに現代人の苦しみが分かってたまるかとごねているうちに、ぽっくり逝った。
 曾孫の顔はこれからも見せてやれそうにない。最後まで口には出せなかったが、私は男よりも女の子が好きだ。どう頑張っても産めない。
 話は変わって、祖母は小さかったが私も小さい。母はでかい。父もでかい。妹もでかい。葬儀に現れた祖母の友人達が私を見て目を丸くする度、隔世遺伝とやらはすごいなぁと感心した。
 年寄りというのは軒並み縮むものだが一人背筋のしゃんとしたでかいのがいて、これもまた、私は祖母の若い頃と生き写しだと遠い目をする。現代風の化粧をしていたのに、だ。
 祖母とは女学校の寮で同室であったというその人の話は、聞いてみるとなかなかに面白い。私が毛嫌いする黒い悪魔を平気で叩き殺した祖母が小さな蜘蛛ごときで気絶するような可憐な少女だった事や、怖がりのくせに心霊番組を見たがる私をくだらないと鼻で笑っていた本人こそ怪談話を人一倍苦手としていた事や、料理も出来ないで何が女の子ですかと私を叱り飛ばした祖母が死ぬほどまずい煮物を振る舞った事など、できれば生前に聞いて弱みを握りたかった新しい発見がたくさん見つかる。
 嫁に行くなんて嫌だ嫌だと泣く祖母が不憫で二人一緒にどこかへ逃げようとした事もあったのだと、時折祖母の名前を姉様と呼ぶその人は私を見てまた遠い目をした。
 祖母はどうだか知らないが。私は、背の高い女の子が好みだ。
 いつの間にか茶飲み友達となったその人の家に遊びに行くと、たまに高校生の孫娘と遭遇する。背筋のしゃんとしたでかいやつで、部活帰りに寄ったらしいジャージ姿のままくつろいでいる所を連絡もなしに突然現れる小さな社会人に見られる度にうひぃと顔を赤くした。女の子には優しくしたい私だが、それが面白くて相変わらず連絡を入れない。
 土曜の夕方は、孫娘がバイトをしているコンビニまで足を伸ばして酒を買う。制服姿も可愛いねぇだのなんだのとからかい始めると、慣れてきた彼女に早く帰れと追い返されて、一人寂しく家で飲む。
 社会人はストレスと戦うものなのですと、祖母は言ったが。
 禿げた上司のおっさんや、口うるさいお局様や、壊れて動かなくなるコピー機や、その他もろもろの憂鬱な気分と戦うには、武器がいるのだと私は思う。例えば薙刀みたいな、しゃんとしたでかいやつだ。
 だから、土曜日はあの子に会いにゆく。心のどこかにときめきとするどさを忍ばせて、月曜日からの敵と戦い抜く。
 現代人である私に昔の苦しみは分からない。生まれた時からおばあちゃんだと思っていた祖母が、嫌だ嫌だと泣いている若い姿もしっくりこない。
 それでもあんたは良い女だったぜと体の中を流れる遺伝子に乾杯したい気分でグラスを口に運ぶと、生意気な事を言うなと頭をはたかれた気がしてむずむずした。
 戦え戦え、武器を持って。


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