【かくれんぼ】
小学生の頃クラスになんとかという名前の女子がいて、私はそいつがとても嫌いだった。
背が低くて、ガリガリに痩せていて、黒髪を不揃いに短くしていて、テストの点数がどの教科も酷く悪い。体育の着替えの時彼女の体のあちこちに痣があるのを見つけて、ああこいつはろくな家の子じゃないんだなと内心蔑んでいた。
そのくせ、顔立ちだけは綺麗に整っていて澄んだ目をしている。まるで自分に不幸な所なんて何もないんだといった風にいつもへらへらと締まりのない笑みを浮かべていた。
当時私の家では両親が不仲でぎくしゃくとしていたから、私より不幸なはずの彼女がそんな表情を浮かべているのが許せなかった。まるで私が彼女よりも惨めで下等な生物になってしまったように感じて、吐きそうになる。
「キリちゃん、キリちゃん、一緒に帰ろ」
学校から帰る支度をしている私に、彼女があの笑みを浮かべたまま声をかけてきた。外面の良い私は学級委員をしていて、教師からも彼女の事をよろしく頼むと言われていたから、他に誰も友達のいない彼女は私にべたべたと付いて回る。それも鬱陶しかった。
「××」
「なぁに?」
帰り道、道路の影だけを踏んで帰る遊びをしている彼女に呼び掛けた。
今から隠れんぼをしようと私が提案すると、ぱっと幸せそうに顔を輝かせる。二人で近くの公園まで歩く途中手を繋いできたので、さりげなく解いた。
「私が鬼だから、××は隠れておいで」
「うん、わかった、わかったよ」
木の幹で目隠しをする私の後ろを、ランドセルを背負ったままの彼女が走っていく音がする。しばらく待ってから振り向くと、もういいよ、とどこかから彼女の声が聞こえた。
「それじゃ、今から探すからね」
私は大声でそう答えて、彼女を置いたまま家に帰った。
次の日学校に行くと彼女が困った顔で私の所に来て、昨日ずっと待っていたのにどうして探しに来てくれなかったのと尋ねてきたので、探したけれど見つからなくてもう帰ってしまったのかと思ったんだよと私は答えた。
きっと××には隠れんぼの才能があるんだねと褒めてみせると、彼女ははにかんだように笑った。
今日こそはきちんと隠れんぼをしようねと約束して、二人で公園へ行って、また私は彼女を置いたまま家へ帰る。次の日には困った顔の彼女がいて、それからはにかんだように笑う。
そんな事を何度も繰り返していたのだけれど、ある日彼女が木の幹で目隠しをしようとする私を突然に振り向かせた。夏休みになる、前の日の事だ。
「ねぇキリちゃん、今日は絶対××の事見つけてね」
当然私は今日も彼女を置いたまま家へ帰るつもりだったのだけれどそれを答えるほど正直ではなかったので、いつものへらへら笑いではなく懸命に縋りつくような表情を浮かべる彼女に優しく笑ってみせた。
「うん、今日は絶対見つけてみせるよ。××は隠れるのが上手いけど、だからって手を抜いちゃ駄目だからね」
「絶対、絶対に見つけてね」
「うん、うん」
約束だよと彼女が私の小指に自分の小指を絡ませてきたので、一瞬口元を歪めながらもそれを見つめる。
嘘ついたら、針千本、飲ーます。
今更私に、何を守れというのか。
「じゃあ今日も私が鬼だから、××は隠れておいで」
「うん。キリちゃん、約束だよ!」
木の幹で目隠しをする私の後ろを、ランドセルを背負ったままの彼女が走っていく音がする。しばらく待ってから振り向くと、もういいよ、とどこかから彼女の声が聞こえた。
「それじゃ、今から探すからね」
私は大声でそう答えて、彼女を置いたまま家に帰った。
それきり彼女に会う事なく夏休みを過ごすうちに新学期になって、彼女は学校からいなくなっていた。
祖母に引き取られて、夏休みの間にどこか遠くの町に引っ越していったのだという。母親は男と駆け落ちしたのだとか父親はアル中で入院したのだとか様々な噂が流れていたけれど、私はただふぅんとだけ思った。
結局私は彼女の名前すら忘れたまま成長していて、いつの間にか高校生になった。両親の不仲も、いつの間にか元に戻っている。いつの間にか。
当時の同級生の名前は覚えているのに何故か彼女の名前だけ思い出せないのが不思議だったけれど、特に気にする事でもないんだろう。ただいつの間にか、昔あんな事があったんだよと隣りを歩く香澄に話していたのだ。
「じゃあその子は、今でもキリと隠れんぼをしてるのかも」
だから今でも名前が思い出せないわけ? と私は笑う。
香澄はつい最近うちの高校に転入してきたのだけれど、私達はすぐに仲良くなって色々な事を話した。今の話も確か、私の小さな頃の話を聞きたいと香澄が言ってきたのだ。
道路の影だけを踏んで帰ろうとしている彼女は背が高くて、華奢だけれど健康的な体付きをしていて、さらさらと長く揃った黒髪が風に揺れていて、テストではどの教科も惚れ惚れするような答えを導き出す。あまり家の事を話さないけれど、きっとお金持ちのお嬢様なんかはこんな感じなのだろうなと想像を膨らませていた。
綺麗に整った顔や澄んだ瞳に私はどきどきと心臓を高鳴らせていて、香澄の柔らかな――それでいてどこか悲しそうな笑みを見る度に彼女を守ってやりたい気分になる。嫌いだったあいつもこんな感じだったなら、私も置いて帰ったりはしなかっただろうに。
「最後くらい見つけてあげれば良かったのに。きっとその子、キリの事好きだったんじゃない?」
「あいつが? 勘弁してよ」
顔をしかめてみせるけれど、香澄は更に続ける。いつの間にか手を繋いできたので、ぎゅっと握り返した。
「いつかキリが見つけてくれるって信じて、ずっとずっと待つの。だってキリだけが独りぼっちだったその子の友達だったから。だから、最後に絶対見つけてくれるって約束した時すごく嬉しかったの」
立ち止まって、ほらこんな風にねと小指を絡め合う。それでもやっぱりあいつが嫌いだったし、約束を守るつもりもなかったのだと私は苦笑いした。
もう帰ろうよと小指を繋いだまま歩き出そうとする。香澄を置いて帰るつもりなんてなかった。
「……ね、キリ。良いものあげるから口開けて」
「うん?」
飴玉か何かだろうかと私は素直に口を開く。香澄が手にした何か冷たいものが、そっと舌に触れた。
「隠れんぼは、もう終わり」
あ、と思った。
嘘をついたら、針を――
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