【帰路】
「……お腹痛い。男になりたい」
「そうだねぇ」
奈緒が肩を落としてぐったりと呻くと、灯は困ったように笑う。
下腹部の奥辺りで起こる気分が悪くなるような痛みを嘆いて奈緒がその台詞を吐くのは毎月の事で、灯がそう笑うのも毎月の事だから、もう決まりごとのようになっているのかもしれない。
今年の冬は、やっぱり去年と同じくらい寒い。
学校が終わって暗くなった道をこうして二人並んで歩くのはたまにある事で、こうして話をしていると10分ほど歩かなくてはならない距離も幾分短く感じられる。
白く染まる息を見て冬だなぁとは感じるけれど、嬉しいなぁとは思わなかった。寒いのは好きじゃない。
「男子はずるいよ。制服だってズボンだしさ、絶対あったかいもん」
「あっちだって、夏は女子のスカートずるいって思ってるかもしれないよ?」
「だからってスカートが着たいわけじゃないじゃん」
毎年冬になるとこんな会話をしているのも決まりごとかもしれない。幼稚園と小学校は私服だったから、中学に上がってからだけれど。
幼稚園から高校までずっと一緒の幼馴染みっていうのは、考えてみると彼女だけだ。
「あ、そういえばね、これ見て見て」
「……いや、別にわざわざ見せなくても気付いてたってば」
嬉しそうに灯が差し出してきたのは、シンプルな形をした銀色の指輪だった。まるでそこにあるのが当然のように左手の薬指にはまっている。去年の今頃付き合いだした彼氏から、一周年記念だかで貰ったんだろう。奈緒と灯が一緒に帰る機会が極端に減ってしまったのもその頃からだ。
「もうすぐクリスマスだしさ、奈緒も好きな人とかいないの?」
「んん、去年あんたに捨てられたから今年も家で寂しくみかんでも食べる」
好きな人についてははぐらかそうとして、少しおどけた様子で返す。でも彼女はそれでは許してくれないようで、不満そうに唇を尖らせた。
「またそんな事言って。奈緒、私に好きな人教えてくれた事ないじゃない」
「だって好きな男子とかいないんだもん。いないものは教えらんないんだなぁ」
「もー。そんなに私って信用無いわけ?」
「まさか」
10年以上そばにいてくれているあなたを、信用していないはずがないけれど。
この距離を保つためにも教えたくない事だってあるのだ。
「あー、お腹痛い」
自分がもし男だったのなら、あんな奴に取られる前にきちんと告白をして。
それが成功したら、クリスマスも一緒に過ごせるし放課後だって一緒に帰れる。
高校を卒業して、大学までは一緒ってわけにもいかないだろうけれど、ひょっとするとずっとずっと付き合って、結婚だってするかもしれない。
子供だって産まれて、二人で育てて、それでもって子育てを終える頃には倦怠期だってくるかもしれないけれど、お互いを想いあえる夫婦になれるかもしれない。
おじいさんとおばあさんになればお互い歳を取ったねって、静かにお茶をすする事もあるだろう。二人で幸せに人生を終える事ができるだろう。
でも、できない。毎月訪れる生理現象がそう主張する。ほら、あなたも良い旦那さんを見つけて元気な赤ちゃんを産んで下さいね。隣の彼女みたいに良い相手を見つけて下さいね、そうせっつくのだ。
別に心から男の体に生まれたかったわけじゃない。基本的には女に生まれてよかったと思っている。
きっとこれは、生まれつきの才能とか財産とか家柄とか、そんな自分が持っていないものやどうしても手に入れられないものを妬んで、子供のように我が侭を言って欲しがっているだけなのだ。
「男ばっかり、ずるいなぁ……」
「だからあっちも女はずるいって思ってるって」
「どっちもどっちなのかなぁ」
男だったら、あなたとこんなにも親しくなれなかったのでしょうか。
女だから、あなたとこれ以上親しくなる事は無理なのでしょうか。
今年の冬は、やっぱり去年よりずっと寒い。
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