【放課後サバンナ】
教室の隅で日がな一日読書をしている私にとって、派手な外見をした人種というのはほとほと苦手だ。
反りが合う合わない以前に言葉を交わす事が苦痛でしかなく、彼や彼女達の染色された髪の毛や耳たぶを貫通した金属片を目にするだけで、うひぃと恐縮してしまう。中身も知らずに外見だけで人を判断するのはどうかと思うが、草食動物が肉食動物の元には決して近付かないのと同じで、本能が私を避けさせるのである。
「うわ、何この家。でっか」
「……ええと、スリッパそこだから」
その肉食動物がどうして私の家の玄関で靴を脱いでいるのか、くるくると巻かれた長い金髪を眺めながら頭を抱えたくなる。
教室の中でも一二を争うほど派手で、遅刻やサボりの常習犯で、大きな声で乱暴な喋り方をする彼女は私にとってライオン以外の何ものでもないのだけれど、家に行かせろと放課後突然に言われて断れない自分が情けない。彼女がここにいる理由を未だ把握できずにそわそわしている私に、これ、と学校からずっと手にしていたビニール袋を見せた。
「え、なに? チョコレート……がどうかしたの?」
いわゆるお菓子の板チョコとは違う、薄手の煉瓦のような製菓用チョコレートが中に入っているのを確認して首を傾げる。
グロスで光るぽってりした唇を不機嫌そうに尖らせて、彼女が続けた。
「バレンタイン知らないわけ?」
「……これをくれるの? 私に?」
「違うし。ばっかじゃないの」
そういえば今日はそんな日だったっけと思い出したけれど、我ながらとんちんかんな答えを返してしまう。確かに、彼女から材料だけ受け取っても困るのだが。
「あんた調理部でしょ?」
「え、うん」
「お菓子くらい作れるっしょ?」
「わ、私が代わりに作るの?」
腕を組んだ尊大な態度で尋ねられてたじろぐ。彼氏に手作りチョコレートをあげたいと思うのは彼女の勝手だが、それを作成するための道具にされてしまうのは私としてもいかんともしがたい。友達にでも頼めばいいのに、調理部だからという理由で話をした事もない私を捕まえるのは自分勝手が過ぎるのではないだろうか。
やっぱり人間を外見で避けるのはある意味正解だよなぁ、と内心思いつつ迷惑そうな顔を隠しきれない私に、違うし、とまた彼女が唇を尖らせた。
「教えてって言ってんの。溶かして固めるだけでいいんだけど」
教えて欲しいなんてさっきは一言も言っていなかったくせに、何度も同じ事を言わせるなとばかりに眉根を寄せる。いや、と私は遠慮がちに口を開いた。
「溶かして固めるだけなら、別に私が教えなくても……」
「うちが昨日やった時は泥みたいになって、きれーになんなかったじゃん」
「はぁ」
じゃんと言われても私に分かるわけがない上に、人に聞く前に自分で調べるという発想はないのだろうか。
とはいえここで断る度胸があるなら初めから彼女に家の敷居を跨がせてはいないわけで、早いところ用事を済ませて親が帰宅する前にはお引取り願おう、と私は渋々頷いた。
「ええと、まずチョコレートを細かく刻むんだけど」
「うん」
「いや、その包丁の持ち方は危ないってば……」
仕方なく彼女と台所に並んだ私は、ごてごてと飾られた長い爪のついた指を開いたままチョコレートを押さえている彼女の左手を呆れながら掴む。なんとか猫の手に握り直させて、力任せに刻んでいく様子をはらはらしながら見守っていた。
いつか料理教室を開きたいなどと夢見ていた私だが、こんな生徒ばかりなら少し考え直した方がいいかもしれない。
「で、どうすんの?」
「湯煎で溶かすから、こっちの大きいボウルにお湯入れてね。私は温度計――」
「こう?」
「ちが、まだ違うから」
刻んだチョコレートを入れていた小さめのボウルを、ポットから熱々の熱湯の注いだばかりのボウルに重ねようとしたのを慌てて取り上げる。チョコレートに飛沫が飛んでいないのを確認して、不思議そうな顔をしている彼女に溜め息をついた。
「温度計取ってくるから、ちょっと待ってて」
「溶かすんじゃないの?」
「あのね、お湯の温度を調整して、チョコの温度も調整して、ゆっくり溶かさないと、ちゃんと固まらないの。分かる?」
一句一句噛んで含めるように説明すると、えー、と彼女が不満そうに呻く。習いに来たのなら大人しく聞いていればいいのに、どうにもオリジナリティを追求したがる子だ。
「そんなのんびりしてたら時間かかるじゃん。早くしないと今日渡せないんだけど」
「……何度も失敗するよりは絶対早く終わると思う」
「……はーい」
私の眉間に寄った皺を見て、案外素直に納得する。普段は料理なんてしないけど大好きな彼氏のために一生懸命頑張りました、というのが男としてはくるものがあるのかもしれない。
棚から持ってきた温度計でそれぞれの温度を測る私に、理科の実験みたい、と彼女はけらけらと笑った。
「ねー、もういい?」
「いいよ。じゃあ次はこっちのボウルで冷やして」
「うん」
「はい、またお湯の方に入れてね」
「うん」
言われた通りに作業しながらにこにこと頷く彼女を見て、不覚にも可愛いなぁなんて思ってしまう。私にはあまり興味がないけれど、恋する女の子はえてして可愛い。たとえ、苦手な外見だとしてもだ。
「わ、昨日と全然違う。すごいすごい」
艶々に溶けたチョコレートに満足したのか、手を叩いて喜ぶ彼女にはいはいと頷く。型はどうするのかと聞くと間髪いれずにハートがいいと答えたので、小さなハートがたくさん並んだものを出してやった。早く渡したいなら、こちらの方が固まるのも早いだろう。幸い以前使ったラッピング用の小箱がまだあったので、準備万端というやつだ。
型に流し込んだチョコレートを冷やしている間は特に何もする事がないので、レンジで暖めた牛乳に余ったチョコレートを溶かして二人で飲んだ。
「彼氏にあげるの?」
「……好きな人にあげる。喜ぶか分かんないけど」
「あ、そうなんだ」
顔を赤らめてぽそりと呟く彼女になんだかほのぼのとする。肉食動物のわりに、意外と純情なところがあるようだ。
「いいんじゃない? 私も、ああいうの貰ったら嬉しいと思うし」
「ほんとにそう思う?」
「気持ちが大事なんじゃないかな」
「そっかぁ」
難しいレシピでも、簡単なものでも、当人が心を込めていれば何だって嬉しいと思う。はにかんだように笑ってマグカップに口をつける彼女に、やっぱり不覚にもときめいてしまった。
まあ、私が貰うのではなくてクラスのギャル男辺りが貰うのだろうけれど。
それからいまいち話題が噛み合わないなりに珍しく楽しめたおしゃべりをして、彼女がぴかぴかのチョコレートを真剣な顔で箱に詰めているのをぼんやりと眺めた。繰り返し言うと私にはあまり興味がない事だけれど、恋っていい。
初めてにしては上等な出来栄えのプレゼントを手にした彼女を、玄関の外まで見送る。辺りはもうすっかり暗くなっていて、一人で帰れるのか少し心配だった。
「あの、今日ありがと」
「あ、うん。成功するといいね」
「えっと」
頷く私に、すっかり大人しくなったライオンがためらうように視線を彷徨わせる。首を傾げると、鞄には入れずにずっと手にしていた小箱をずいと差し出してきた。
「……あげる」
「はい?」
ああ、好きな人にあげる勇気がなくなってやっぱり私にでも処分させようとそういう事か、なんて考えてみるけれど、耳まで赤い彼女にそれを言うほど私は馬鹿ではない。
簡単な推理をしよう。
問1。私と彼女は今まで付き合いがなかった。バレンタインのチョコレート作りに失敗した彼女は、教えを請う相手は他にいるはずなのに私に白羽の矢を立てて家まで押しかけた。それは何故か。
問2。彼氏にあげるのかという質問に、彼女は好きな人にあげるのだと答えた。不安がる彼女に私は貰うと嬉しいと教えると、喜んでいた。それは何故か。
問3。私は彼女の外見がとても苦手で、はじめのうちは邪険に扱っていた。今はあまり彼女の事が苦手ではない。むしろ好感が持てる。それは何故か。
「……ええと」
問1の答え。強引な考え方だが、接点が出来たという意味では正解だ。今日中に事を済ませたいなら、利便性も良い。
問2の答え。好きな人にあげるという事は、チョコレートを渡された人間こそ彼女の想い人だろう。相手の反応を予め窺っておくのも大切だとは思う。
問3の答え。私は彼女の外見しか知らずに避けていたが、向こうから近付いてきたおかげで中身も少し知り得る事が出来た。恋をする女の子は可愛い。
ここまでを頭の中で整理をして、静かに深呼吸をする。頭では分かっていても、体が追いつかない事はよくあるではないか。彼女の右手はこちらに向かって突き出されたままで、私は目を白黒させたままだ。
「いっ……いらないなら、いいし」
「待って、いる、いります」
涙目で手を引っ込めようとする彼女から急いで小箱を受け取ったものの、どう答えればいいのか見当もつかない。何の自慢にもならないが、私には誰かから告白、あるいは告白に近い事をされた経験が全くないのだ。
「……」
しばらく無言で立ち尽くして、ふいと玄関の中に舞い戻る。コートを手にしてまた外に出ると涙腺を決壊させた彼女がぼろぼろと泣きじゃくっていて、思わず短い悲鳴をあげそうになった。
「や、やっぱ、いらなっ、いんだ……うっく、めーわくなんだっ……!」
「いやいやいや、違うから! 泣く事ないから!」
慌てて服の袖を目元に押し当てて、擦らないように涙を拭う。自分の行動が軽率だったと心底後悔して、嗚咽を続ける背中をさすりながらしどろもどろに話した。
「あの、私そういうのよく分からなくて」
「うちがキモいんだぁ……!」
「違うって、違うけど、すぐに返事するのが難しくてこう」
何と言えばいいのか上手くまとめられないまま、取ってきたコートを着込む。一人で帰すのをやめて駅まで送ろうと判断した結果がこれなのだが、返事もせずに黙って戻ったのがどうにもまずかったようだ。
泣き止まない彼女の肩を抱いて歩き出すと丁度車で帰ってきた母親が買い物袋を提げたままぎょっとしていて、後でどう説明したものかと悩みながら足を進める。あなたの娘はついさっき愚かにも、可愛いギャルを泣かせました。
暗いといっても都会の住宅街での事なので、建物や街灯のおかげで明るさはそれなりにある。寒いけれどバスに乗るわけにも行かず、落ち着くまではこのまま歩いてみる事にした。
聞いてみたい事は色々ある。何故私なのか、告白されてもどうしたらいいのか、付き合うとすれば何をしたいのか。実際に聞けば無神経な質問が多いし、隣でぐずぐずとしゃくりあげている彼女に追い討ちをかけてしまうようで気が咎める。
勇気を振り絞ったであろう彼女に、ちゃんと答える勇気が出るまで。
――私はひとまず、可愛いなぁなんて思いながら、夜道を二人で歩くのだ。
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