【千円の恋】
絹枝さんはずるい。
真っ白なシーツの上で静かな寝息を立てている彼女を見つめる度に、あたしは唇を噛み締めながらいつも思う。
出会った頃からそうなんだ。絹枝さんはずるくて、うそつきで、わがまま。あたしの希望なんか聞いてくれたこともなくて、約束だって平気でやぶる。さいてーな人だ。
「ねえ」
「……ん」
小さく肩を揺すってみると、長い睫毛をぴくりと動かしただけでまた眠る。
眉間に皺が寄っていて、ああ本当に具合が悪いんだなって考えたら、あたしはもう何も出来ない。絹枝さんが起きるのを待って、ちょっとだけお喋りして、子どもはもうお家に帰らないと、なんて言われておとなしく帰るしかない。今日は遊びに来ても大丈夫だと誘ってくれたのは絹枝さんの方なのに、泊めてもくれない。
ようするにあたしは、体調を崩して寝込んでいる絹枝さんが独りでいたくないから呼ばれただけで、彼女にとってそれ以上なんの意味もないんだ。
頭では分かっていても、やっぱりこんなの、面白くない。
絹枝さんと初めて喋ったのは二年前の秋のことで、あたしはまだ中学生で、入院していたばーちゃんのお見舞いに毎日通っていた頃だ。ばーちゃんは好きだし、学校は嫌いだったから、暇さえあればしょっちゅう行った。
同じ病室にいた、綺麗で優しそうで髪の長い、色白なお姉さんが、絹枝さんだ。
「君、いつも甲本さんのお見舞いに来てるくみちゃんでしょう」
病院で一番広い休憩室みたいなところで紙コップのコーラを立ったまま飲んでいたあたしは、いつも眠っているところしか見たことがなかった彼女から突然に声をかけられて、カップの端をくわえたまま小さく頷いた。
友達といる時のあたしは大抵お喋りだけれど、自分のテリトリーから離れた場所で、それも知らない大人を相手にどう答えていいか分からなかったからだ。
彼女はあたしの事を頭からつま先までゆっくりと眺めてから、にこにことそばにあった椅子に腰かけた。
「何年生?」
「……中2、だけど」
「じゃあ、私よりええと――9つ? 違うのかな」
「ふぅん」
だからなんだ、と思っていると、またにこにこしながら問いかけてくる。
「最近の子って、みんなそんな風に髪染めてるの? 脱色だっけ?」
「は?」
「流行ってるの? 寝間着みたいな恰好したり、サンダル履いたり」
「流行っ……いや、友達みんな、こうだし。楽だし」
「そうなんだ。今日は学校お休み?」
「休みじゃないけど、つまんないし」
「暇なんだ」
「まあ、ひま……だけど」
立て続きに浴びせられる質問に、つまらない説教でもするつもりなのかな、とうんざりしてきた。
校則くらいちゃんと守らないとろくな大人にならないとか、だらしない恰好ばかりするなだとか、学校にはきちんと行くべきだとか。そういう話なら耳にたこが出来るくらい聞いてるけれど、あたしはあたしなりに人付き合いをちゃんと考えてるし、親はともかくばーちゃんを泣かすような悪さはしたくないなと思ってるし、友達の手前格好がつかないから隠してるだけで、ほんとは勉強も結構好きだ。
まともに話したこともないような相手をいきなり取っ捕まえて、自分が一番正しいんだみたいな顔をしながらえらそうに説教してくるやつの方こそ、ろくな大人じゃない。
とっととこの場から逃げ出そうと踵に重心を移していると、彼女はパジャマの上から羽織っていたカーディガンから財布を取り出して、相変わらず、にこにこしていた。
「暇なら、お姉さんの彼女になってよ」
こういうのも、えんこーって言うんだろうか。
彼女に連れていかれた病室のベッドに腰掛けながら、私はポケットに半ば無理矢理突っ込まれた千円札を居心地悪く押さえてため息をついた。
ばーちゃんの病室にあった絹枝さんのベッドは――とりあえず、今から私のことは絹枝さんって呼んでねと道すがら教えられた――今朝から空になっていたから、出かけているのかなとお見舞いの時は気にしていなかったけれど。丁度、今日から個室に移ったんだそうだ。
部屋の中では、これまた知らないお姉さんが怖い顔をしながら窓際にもたれて突っ立っていて。絹枝さんと少し話をして、真ん丸な目であたしを見て、それから変態だのロリコンだの、他にもなんだか色々な罵詈雑言を並べ立てて、出ていってしまった。
「あ、ゼリー食べる?」
わけが分からないまま呆然としているあたしと違って、絹枝さんはけろりとした様子で備え付けの冷蔵庫をあさる。みかんと桃のどちらがいいかと聞かれたので、桃、と答えた。
「……ねえ」
「うん?」
ベッドの中じゃなくて隣に座ってきた絹枝さんに、あたしはゼリーの蓋をぺりぺり剥がしながらそっと疑問を口にしてみる。
「さっきの人さ、なんで怒ってたの」
「私がくみちゃんと付き合ってるって言ったからじゃない?」
「だから、なんであたしがその……かの、かのじょって、嘘つくの」
いざ言葉にしてみると、なんだか恥ずかしい。
だってあたしももう14歳で、彼氏のいる友達だってたくさんいるけれど、あたし自身はまだ誰かと付き合った経験はなくて、それに絹枝さんは女の人で、そういうのってテレビかマンガで見たことあるなぁくらいの知識しかない。
戸惑いながら俯くあたしに、絹枝さんはプラスチックのスプーンを口に運びながら不思議そうに首を傾げた。
「嘘じゃなくて、今は彼女でしょう? 千円あげたじゃない」
「ちがっ、だから」
「私はくみちゃんと付き合ってるんだから、他の人から迫られてもちゃんとお断りしないと不誠実でしょう?」
「え、あ、そう、なのかな」
「そうなの。お姉さん、浮気はよくないと思うなぁ」
「ん、んー……?」
分かったような、分からないような話だ。
絹枝さんはあたしの彼女で、だからさっきのお姉さんから告白されても浮気になるから振ったんだろうけれど、そもそもあのお姉さんはあたしが来るより前からここにいて、でも絹枝さんはお姉さんの彼女じゃなくて、あたしを彼女にしていて。
つまり絹枝さんが何をしたいのか、あたしには全然理解できなかった。
頭の中で色んな矢印を引きながらスプーンをかじっていると、ああ、と思い出したように彼女が両手を叩く。
「付き合ってるんだから、交換日記しよっか?」
「は? え、なんで?」
「くみちゃんはまだ子どもなんだから、健全なお付き合いから始めないと駄目じゃない」
確かまだ余ってるノートがあったからとそばの荷物を引き寄せて探り始めた絹枝さんに、あたしがまるきり子ども扱いされているのが分かってかちんとくる。
思わず唇を尖らせて、むきになって返してしまった。
「別に、友達はその、彼氏とふつーにやってたりするよ。それくらい知ってるし」
「……」
綺麗な小花柄が表紙になったノートを手にした彼女がぽかんと口を開けるのを見て、あたしは何を言ってるんだと我に返る。違う、あたしは別に女の人が好きなわけじゃないし、ついさっき知り合いになったばっかりだし、そんな意味で言ったわけじゃない。
みるみるうちに赤くなって硬直したあたしをじっと見つめて、絹枝さんが肩を抱き寄せてくる。耳に息がかかって、目を合わせることが出来なくて、それでも彼女の唇が近付いてくるのが分かる。
どうしよう、と思った。怖い。
怖かった。
「――ね? やっぱり、まだ早かったでしょう?」
「っあ、わぁ、わ、あれっ!?」
いたずらっぽい声にきつく閉じていた瞼を開くと、こちらの唇に指先を押し当てた絹枝さんは満足そうに笑う。息を切らせながらのけぞるあたしから食べかけのゼリーを取り上げて、代わりにノートを手渡してから続けた。
「今日はそろそろ時間だから、明日もよろしくね」
「あし、あした?」
「だって、彼女のお見舞いには来るものじゃない?」
「あ、うん」
「学校もちゃんと行かないと。夕方にね」
「え、学校はその、関係ない」
「ほら。私、どちらかというと真面目な人が好きだから」
「……ほらって言われても」
「あ。くみちゃんは恋人のお願い聞いてくれないんだ。冷たいなぁ」
「そ、そうじゃないけど……」
「行く?」
「……うん」
すらすらとした口調で見事に言いくるめられてしまったあたしが頷くと、またね、と手を振られたので混乱したまま立ち上がる。ポケットの中で、千円札がかさりと動いた。
あの日から、絹枝さんはあたしの彼女になったのだ。
それからというもの、絹枝さんの病室はお見舞いに来るお客さんで大盛況だった。
で、みんながみんな、ため息をついたり、怒ったり、泣いたりしながらすぐに出ていく。
こう何度も同じことを繰り返していると十日も経った頃にはさすがのあたしも大体の事情が飲み込めていて、相変わらずけろりとしている絹枝さんに、顔をしかめながら聞いてみたことがあった。
「絹枝さん、よく自分がふせーじつじゃないって言えるよね」
「どうして? こうやって、くみちゃんと誠実で健全なお付き合いを続けてるじゃない」
「あたしじゃなくて」
「向こうが勘違いしてるだけで私は付き合ったつもりないもの。一度ならともかく、体力もたないし」
「……」
「ええと、卓球とかするの」
「……へー」
とまあ、こんな具合だ。
早い話、絹枝さんいわく健全な交際を続けているあたしは、一度限りの予定だったはずの相手が迫ってくるのを体よく断るための彼女なんだと思う。めいわくなことだ。
ただ、絹枝さんと一緒にいるのは楽しかった。お見舞いに行っても眠っていることが多かったけれど、静かな、優しい声を聞きながら頭を撫でられるのは気持ちがよかった。
絹枝さんはお話をするのが上手だ。昔飼っていた猫から聞いた話だとか、庭の隅で小人を見つけた時の話だとか、散歩をしている時に影を落とした話だとか、そういう、嘘みたいな話を本当にあったことのように聞かせてくれる。
すごいなぁと思っていると、本で読んだから、とさらりと答えた。
「あ、じゃあパクりってこと? 誰の本?」
「ぱく……ううん、どうかなぁ。――って名前の人のお話、よく読むから覚えてるの。子ども向けだけどね」
その日の帰り道に急いで本屋さんに寄ると絹枝さんが言った名前の人が書いている本は何冊も出ていて、けれども本をひっくり返して値段を見た途端にひるんでしまった。子ども向けなら、もっと安くてもいいと思う。
子どもに混じって立ち読みをするのはなんとなく嫌で、仕方なく一番左に並べてあった本をレジに持っていった。財布から取りだそうとしたしわくちゃの千円札を少し考えてから戻して、ばーちゃんにもらった五百円玉を3枚支払う。お釣りをポケットに突っ込んでから、家に帰ってご飯よりも先に読んだ。
『かげかげまわれ』は絹枝さんから聞いた通り、散歩をしている時に自分の影を落としてしまった独りぼっちの女の子が、わたしのかげをしりませんか? と犬や猫やすずめに尋ねながらみんなで探してまわる物語だ。途中、他にもかげを落としてしまった子ども達と出会って、みんなで町の中を、森の中まで手を繋いでずんずん進む。最後には森の広間で輪になって踊っているかげたちを見つけて、かげも独りぼっちで寂しかったんだね、と新しくできた友だちみんなで繋いだ手を握りあう、そんな話だった。
絹枝さんから聞いた他の話も合わせると、この人の書くお話は独りぼっちの女の子が主
人公になっていることが多い。
寂しがりやの人なのか、それとも作り話だからこうなだけなのかなぁと翌日絹枝さんに漏らすと、どうだろうねぇと彼女も苦笑いした。
「あ。絹枝さん、もう退院できるんだよね? あたしさ、来週、修学旅行で京都に行くんだよ。おみやげあげたい」
「それなら、携帯のアドレス交換しておく?」
「……え、けーたいもってたなら早く教えてよ。ないと思ってた」
赤外線をぴっとしてから木刀がいいかなとはしゃぐあたしに、それは嫌だなぁ、と笑いながら絹枝さんは財布を取り出す。
きょとんとしながら見つめているとまたいつかのように、にこにこしながら言った。
「とりあえず、今のうちに別れておこうね」
交換日記をするだけですっかり忘れていたけれど、そういえばあたしは絹枝さんの彼女だった。もう、別れたけれど。
そりゃ入院中の最終ぼーえーラインとしての彼女だったわけだから、退院するなら意味がないと思う。でもだからってあんなにあっさりされると怒るに怒れないのが現状で、もやもやした気持ちのまま向かった京都で買ってきた生やつはしと木刀を担いで、あたしは絹枝さんから教えられた住所を目指してぶらぶらと歩いた。
正直、少しだけ会いたくなかった。本当に、少しだけだけれど。
だって誠実な絹枝さんがあたしと別れたということは、他の人にお付き合いを迫られたって断る必要がない、ということで。一度限りだって、何度だって、絹枝さんが他の人と仲良くお喋りしているところを考えると悲しい気持ちになる。
いつの間にかあたしは絹枝さんのことが大好きになっていて、友達が話しているみたいなことはまだ怖いけれど、そばでずっと、絹枝さんの声を聞いていたかった。子ども扱いされるのは嫌でも、優しく頭をなでてほしかった。
健全なお付き合いを続けるだけの彼女は、絹枝さんにとって意味がないんだろうか。
「……くみちゃん、どこにカチコミに行くの?」
「かちこみ?」
「だって木刀――ああ、京都よね。うん」
チャイムが鳴るなり確認もせずにドアを開けた彼女は寝ぼけ顔のままあたしを見つめて、一人で勝手に納得してから「似合うね」と感心したように頷いた。
「あの、これ、おみやげ」
「……ええと。わざわざありがとう」
「ちがう、違うってば、これあたしの。かっこいいから見せてあげるだけ」
木刀を受け取ろうとする絹枝さんに慌てて生やつはしの箱を押しつけてから、他に何を話せばいいのか頭の中で整理しようと、あたしは落ち着きなくつま先を地面に押し当てた。
旅行の話とか、この間みつけたのら猫の話とか、話したいことは色々あるのに、絹枝さんはやっぱり綺麗で優しそうだったから、変に緊張してしまって上手く言葉が続かなくなる。
「どうしたの?」
「ん、ええと、今日寒いね」
柄にもなくもじもじと言いながら腕をさすった。いつまで玄関先でこうしていればいいのか分からなくて、でもあたしから早く家にあげてほしいとも言えなくて、曖昧に笑うしかない。
絹枝さんは困ったような顔で振り向いてから、そっとあたしの頭をなでた。
「悪いんだけど、今日はもうお客さんが来てて」
「……だって、あたし今日おみやげ持っていくって昨日」
「うん。だから、次はちゃんと準備しておくから」
またね、と手を振る絹枝さんの後ろから知らない声が聞こえて、どんなお客さんが来てるか分かったあたしは打ちのめされた気分で手を振り返した。きっと、今日じゃなくて昨日からいるお客さんなんだ。あたしはもう彼女じゃないから、あたしよりも優先しなくちゃいけない相手なんだ。
絹枝さんはずるい。
都合のいい時だけ優しくて、約束も守ってくれなくて、それでも、嫌いになれなくて。
何度同じことを繰り返されても、好きなままだった。
この二年間で絹枝さんと4回別れて、5回付き合った。
大体が絹枝さんの具合が良くない時期だけ、あたしは彼女になれる。相変わらず続けている交換日記は別れるたびにナンバー1から始まるから、全部で何冊溜まったのかはよく分からない。彼女じゃない時でもメールは来たし、電話もかかってくる。絹枝さんの家へ遊びにも行ける。優先順位が、一番になれないだけだ。
ついこの間新しくなったばかりの交換日記を読み返しながらぼんやりしていると、むくりと起き上った絹枝さんが眠たそうに瞼をこする。寒いとだけ呟いて、またすぐ横になった。
「くみちゃん、今、何時?」
「6時」
「門限、7時じゃなかった?」
「今年から9時だよ。別に、破っても平気だから泊まれるし」
ベッドの中から尋ねてくる絹枝さんに答えながら彼女の顔を覗き込む。友達はみんな門限なんか守っていないのに、あたしだけ恋人のお願いを聞いてばかりでバカみたいだ。
「んー。泊まるのは、だめ。仕事があるもの」
「だって、昨日もそう言ってた」
両手で頬を挟みながら笑われて言い返した。このところ絹枝さんは全然まともに寝てないみたいで、だからあたしが部屋にいる間はずっと眠っている。どんな職業かは教えてくれないけれど、いくら家でできる仕事だからって昼夜逆転は余計体によくないんじゃないかと心配だった。
「仕事のじゃまなら、終わるまで静かにするよ。ちゃんと寝てほしいし」
「邪魔じゃないわよ。ただ、夜しかはかどらないだけで」
「でもさ」
上半身を起こしながら困り顔で話す彼女を遮って手のひらを握る。一瞬ためらってから、視線をさまよわせて呟いた。
「……絹枝さんが嫌なら、来るの、我慢するし」
「駄目」
強い口調で言われて、ついまじまじと絹枝さんを見つめ返す。
彼女はため息をついてから両耳へ髪の毛をかきあげて、口ごもりながら続けた。
「その……一人だと、よく眠れないのよ。昔からそう。だから夜に仕事してるだけで……今は、くみちゃんがいて助かってる」
「でも、だったら泊めてくれたら」
「子ども相手に、毎晩添い寝を頼むわけにいかないじゃない」
どうすればいいのよ、と泣きそうな声で頭を抱えた絹枝さんの表情は、あたしからはよく見えない。表情だけじゃなくて、考えていたことも、気持ちも、うそつきの絹枝さんはごまかすのが上手で、今までちっとも見せてくれたことがなかった。
「誰かと一緒にいたいだけなのに、いつも変なことになるし。ずっと入院してるわけにもいかないし。はじめは、くみちゃんがいれば便利だと思ったのよ。子どもなら私も安心だし、相手も本気にするか冗談だって分かって諦めるもの。なのに、どうしてもだめなの。夜になると、また同じことやっちゃって。知ってるでしょう?」
「……うん」
自嘲気味に笑う彼女に唇を噛みながら答えた。
だってこの2年間、あたしはずっと絹枝さんのそばにいた。知らない方が、おかしい。
「いっそ、このままでいいんじゃないかって思ったの。私は独りにならないし、相手も損はしないわけでしょう。疲れたら、あなたを使えばいい。でも――」
また、少しだけ口ごもる。
「――でも、もう嫌なのよ。私の心は、ずっと独りのままじゃない。くみちゃんが私を嫌ってくれればよかった。悲しそうな顔をするだけじゃなくて、見捨ててくれればよかった。そうすれば他の人とも今までみたいに上手く付き合えていけたのよ。なんで私が、くみちゃん以外の人と一緒にいるのが嫌にならなきゃいけないの? 子どもなのに、子どもだからどうにもならないのに、どうして、嫌いになってくれないの?」
嗚咽まじりに息を吐いた絹枝さんはそのまま肩を震わせながら俯いてしまって、かたくこぶしを握り締めたあたしは泣きそうになるのを必死になってこらえた。
何度同じことを繰り返されたって彼女が嫌いになれないのは、絹枝さんがあたしと一緒にいたいってお願いするからだ。恋人のお願いは聞くものだと言ったのは絹枝さんの方だ。
付き合えだの、別れろだの、その上今度は嫌いになって欲しいだの。
彼女ばかりわがままを言って、あたしはそれを聞いてばかりいなきゃいけないなんて、やっぱり、絹枝さんはずるい。
「ねえ」
「……何?」
「ねえってば」
「だから、なに――」
俯いたままの絹枝さんの頬を無理やりつかんで、唇を押しつける。
歯がぶつかって痛かったけれど、驚いているようにも悲しんでいるようにも見える彼女から手を離さないまま、しっかりと言葉を続けた。
「あたしは、子どもだからここまでしかしないよ。絹枝さんが困るなら、いいって言うまで絶対なにもしないし、大人になるまで我慢するよ。無断外泊もしないし、学校だって行くし、めいわくかけないよ。泊まっちゃだめな日はちゃんと帰るし、絹枝さんが眠れるまでメールだって電話だってするよ。寂しくさせないよ」
「……子ども扱いしたら怒るくせに」
「だって、あたしも絹枝さんと一緒がいい。恋人なのに、あたしのお願いは聞いてくれないの?」
こらえていたはずの涙がぽろぽろとあふれてきて、泣きじゃくるあたしの頭を絹枝さんは優しく撫でてくれた。二年前からずっと彼女が好きで、きっとこれからも大好きで、嫌いになるなんて無理だと思った。絹枝さんのお願いはなんだって聞くけれど、それだけは絶対に出来なかった。
今度は交換日記だけじゃなくて、寂しがりやの彼女に指輪を買ってあげよう。高いものはまだ買えないけれど、使えずに取ってある千円札が引き出しに9枚しまってあるから、ただ返してしまうよりよっぽどいい。
貸し借り無しのゼロから彼女と、はじめていきたいのだ。
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