こうして白雪姫は、シンデレラは、ヘンゼルとグレーテルは、幸せに暮らしました。
 魔女は殺され、意地悪な姉は足を削ぎ、森のおばあさんは大鍋で煮込まれました。
 物語の終わりは大抵いつもハッピーとアンハッピーの二択しかなくて、立場によって変わってしまって、自分ではそれを選べなくて。
 私達は。
「――いいよ、もう。郁なんていらない」
 私達はどっちなんだろう、みなみ。

【雨から降る錆】

 閉め切ったカーテンの隙間から見える外では先程から控えめな雨がぽつぽつと降り続けていて、長袖のブラウスに薄手のセーターを着ているだけだと少し体が冷えた。まだ十月になったばかりだというのに、どうもここ数年の季節は夏と冬の割合が極端に多い気がする。
 手元のプリントには来週末から始まる修学旅行の知らせが書いてあって、肩越しに振り返ると面倒臭そうな顔でベッドに寝転んで本を読んでいる佐和子が見えた。子供向けとはいえ動物図鑑なんて重そうなものをよく持ち上げながら読めるものだと、少し感心する。
 学校から帰る途中に直接彼女の部屋まで寄る事にしたけれど、しばらく見ない間に随分と増えた本のおかげで足の踏み場もない。溜め息をついて、郁はそっと重心を後ろに傾けた。腰掛けているベッドは軋んだ音を立てることもなく、柔らかく沈む。
「行き先、京都だって。未来のとこの高校は北海道とか沖縄とか外国とか選べるみたいだけど、うちの学校ケチってるのかなぁ」
「いいじゃない。暑くも寒くもないわよ、京都って」
「今の時期はどこも寒いよ」
 佐和子さんの基準って暑いと寒いしかないよねと笑って、郁も佐和子の隣りで横になった。持ち主の許可も取らずに布団を頭の天辺まで被って、膝を丸めながら瞼を閉じる。疲れているのか、最近はやけに眠くてたまらなかった。
「寝るの?」
「んー……6時半になったら教えて。ふざけて変なことしたら怒るからね」
「つまり、真面目にすればいいのね」
「よくない」
 くぐもった声で答えると彼女はつまらなそうに鼻を鳴らして、また静かにページをめくる。
 うとうとと浅い呼吸をしながら、そういえば、と思い出した。
「修学旅行さ、伊東さん達と一緒でもいいかな?」
「伊東?」
「……佐和子さんの後ろに座ってるでしょ」
 誰なのそれと続けられて、クラスメイトの名前くらいちゃんと覚えたらいいのにと内心呆れながら付け足した。
 伊東は内気でおとなしい、あまり目立たないタイプの子だけれど、彼女なら佐和子と表立って衝突したりはしないだろうなと考えて旅行中の仲間に入れてもらう事にしていた。同じ中学に通ってはいたものの高校に上がってからはまともに話をしていなかったし、正直なところ郁が声をかけた時には若干怖がられている節もあったので、悪いなぁとは思ったのだが。建て前上とはいえ、団体行動は学生に付き物なのだから仕方がない。
 修学旅行のグループ決めなんて、前は悩む必要もなかったのだけど。
 佐和子は学校では相変わらずだし、郁一人で教室移動をする事も、休憩時間をぼんやりと過ごす事も、食事を取る事もトイレに行く事も、慣れない事をするのは結構きつい。楽な方ばかりを選んでいるとその分のツケが盛大に回ってくる事くらい嫌になるほど分かってきたはずなのに、素直に体が受け入れてくれないのだ。
――みなみとは、もう二週間以上口を聞いていない。
 人生には何でも上手くいきそうな瞬間を感じる時がたまにある。実際、あの時はそう思った。今なら自分が考えている事を真っ直ぐにぶつけられる。真剣に話せばきっと分かってもらえる。逃げ出さずにいれば、必ず距離は縮まってくれる。
 結局のところ郁の考えは、まだまだ自分本位なのだ。追われてばかりいたから、追いかけ方が分からない。佐和子の時だって、向こうが引き寄せてくれたから手を取れたのに。
 何も嵌めていない指を撫でながら、郁は下唇を噛んで息を吐いた。


「あのさ、郁。あたしがそういう冗談大嫌いなの、知ってるよね?」
 目の前で引きつった笑みを浮かべるみなみに、一瞬ためらってから頷いた。
 真新しい清潔なパジャマは彼女の体を余計に小さく見せて、熱で火照っていた顔も今は血の気が失せているように思える。時折苦しげに咳込む姿に、ああ本当に弱っているんだと少し後悔した。
 二人暮らしといっても、仕事で長期間家を離れる事が多いみなみの母親では実質一人と大差ない。郁がチャイムを鳴らした時は、本当に安心したように出迎えてくれた。
 なにもこんな時に話す必要は、なかっただろうに。
「……冗談じゃ、ないよ。佐和子さんと仲直りした。もう、みなみの遊びには付き合えない」
 それでも一度口に出してしまったからには誤魔化す気になれなくて、郁はまた静かに繰り返す。みなみに襟首を掴まれて、体を強張らせながら乾いた唇を舐めた。
 いつもならここで諦めてしまったかもしれないけれど。もう、黙ったまま彼女の言いなりになるのは嫌だ。
「ねぇ、ちゃんと聞いてよ。私は」
「……あたしは、郁が大切だから守ってあげてるんだよ?」
「それは分かってるけど――」
「分かってないからそんな事言うんじゃない!」
 掠れ気味の声を無理やり引き絞るように怒鳴られて、耳の奥がじんと疼く。掴んでいた手を乱暴に放して俯いたみなみが、いらいらと親指の爪を噛むのが見えた。
「なんで?」
 俯いたまま、小さく呟く。
 綺麗に整えられていた指先から、ぱきりと硬いものが割れる音がした。あんなに手入れに気を使っていたのに勿体ないな、と場違いに思う。
 郁は爪を伸ばした事がないから。みなみの指先を目にする度にいつも少し、憧れていた。
 呟く。呟く。羨ましかった、彼女が呟く。
「なんで、あたしより雨宮を選ぶわけ? だっておかしいじゃない。あいつなんかより、あたしの方がずっと郁のこと好きなのに。郁が欲しいものは全部あたしがあげないと駄目なのに。全部買ってあげないと、郁があたしのこと好きになってくれないじゃない。
 ……雨宮が邪魔するからだよ。何も悪いことしてないじゃん、あたし。お母さんみたいにしたいだけだもん。お母さんは忙しいけど、あたしが好きだから何でも買ってくれるんだよ。だからあたしも郁に全部、全部あげてたのに、意味わかんない。おかしいよこんなの」
――堪えていたはずなのに、泣きたくなった。
 怖いからじゃない。可哀相だ。物なんか貰えなくても、郁はみなみを好きになれたのに。郁を束縛する事に拘っていない時の彼女は、ただ純粋に、憧れの対象になりえたのに。
 どこかで食い違ったわけではなく、始めから重なってもいなかった事にもっと早く気付けばよかった。彼女に与えられてばかりで、自分からは何も返せていなかった事に気付けばよかった。
 いくら物を与えても、郁が振り向いてくれない。自分の隙間を埋めてくれない。だからみなみは他にやり方を知らないまま、余計郁に執着していたのかもしれない。そこまでの価値が自分にあるなんて、郁には思えないのに。
「み、なみ」
 ああ、唇が乾く。
 必死に名前を呼んで彼女を抱き寄せた。長い髪の毛が手のひらに絡んで、体温の上がった体が熱い。
 みなみは、こんなに小さかっただろうか。
「みなみの事は、好きだよ。……でも、今みたいなのは嫌なんだ。私はただ、みなみと普通の友達になりたいだけなんだよ」
 ささやかな事でいいのだ。ただ二人で一緒に、笑いあってさえいられれば。
 今までが今までだから、急には無理かもしれない。甘えた考えかもしれない。それでも、いくら時間がかかってもいいから。言いなりになるだけの犬じゃなくて、みなみの、友達になりたい。
「……普通?」
 腕の中でみなみが聞き返すのが耳に届く。彼女は分かってくれるだろうか。
 分かって欲しいと、思う。本当に伝えたい事を言葉にも出さずに分からせたいと思うのは傲慢だから。
 呼吸を整えて、ゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「そう。物なんか、いらないからさ。他の人みたいに、みなみと普通に――」
「郁は、他の奴みたいになりたいの?」
「……みなみ?」
 背中に爪を立てられて、痛みに顔をしかめる。慣れない事をするといつもこうだ。上手くいかない。想いを伝える事さえも。
 すぐに引き剥がされた体を呆然としながら眺めた。
 どこまでもどこまでも、郁とみなみの歯車は噛み合えない。
「他の奴みたいに都合のいい時だけ友達面して、いなくなった途端に陰口叩くの? それが郁の言う普通の友達? ばかじゃないの、あんた」
 醒めた顔で笑われて視界が滲んだ。そんなつもりじゃ、ないのに。
 言葉にしてもまた別の意味に取り違えられるのが怖くて何も言えない。郁には、力が無いみたいだから。
 きっと、使う人によって言葉の強さは変わるんだよ、佐和子さん。
「何が普通よ。あたしは絶対やだ。今までの郁ならそんな事しなかったのに。困った顔はするけど、ずっと一緒にいてくれたじゃない。他の奴なんかどうでもよかった。あたしには、郁しかいないと思ってた。でも」
 一度途切れたみなみの声が、鼓膜を揺さぶる。
 彼女はどこか遠くを見ているようだった。目の前にいる郁の姿を、映す気がないのだ。
「でも――いいよ、もう。郁なんていらない。あたしだけのものじゃないなら、あんたなんかいらない」
 みなみの声だけが聞こえる。
 心の奥まで深く、強く。


 目を覚ました時にはじっとりとした汗が肌と衣服に纏わりついていて、気持ちが悪かった。
 暖房の効かせ過ぎだ、と熱でのぼせた額を押さえながら布団から顔を出す。壁にかかった時計を見ると6時にもなっていなくて、まだ動物図鑑を眺めていた佐和子が軽い仕草で郁の頬に触れてくる。
 彼女の冷たい手のひらを握りながら、ぼんやりと呟いた。
「……ねぇ、佐和子さん。手の冷たい人は、心があったかいんだってさ」
「誰かを口説く時の常套句よ、それ」
 冷え性が善人のステータスになってしまうじゃないとつまらなそうに言い返されるけれど、自分でも知っているくらいよく言われている言葉なら、事実そういう傾向があるからこそなのではないかと郁は思うのだ。幽霊だってUFOだって、最初に誰かが見たと言ったから何百年も存在の有無が口論されているわけで、始まりのない言葉なんて紡ぎようがない。
 佐和子の手を冷たいと感じる自分の手は、たぶんこの先もずっと熱いままなのだ。心臓が止まって血液が巡らなくなるその時まで心は冷たいままで、相手の気持ちを考えられないのだ。
 だから、いらないなんて言われてしまう。
「どうしてすぐ、そういう風に難しく考えるの?」
 握られた手を一度解いて、指を交互に絡ませながら抱き寄せられる。
 汗に混じった、甘い匂いがした。優しい洋菓子のような佐和子の匂い。ただ無邪気な子供だった頃の誕生日やクリスマスを思い出して、少し懐かしくて、少し悲しい気分になる匂いがする。
「別に、考えてないよ。何も言ってないし」
「眉間に皺が寄ってる。目が潤んで、泣きそうな顔してる。考え事をしている証拠じゃない」
 拗ねた風に呻くと、貴方は分かりやすいのよと笑われた。
――郁、と。
 名前を呼ばれるのが心地良い。数え切れないほど聞き慣れた言葉なのに、彼女に囁かれると全く別のものに聞こえる。
 初めて名前を呼ばれた時は、距離が近すぎるからそう聞こえるのだと思った。一歩引いた立場ではなく、突然歩み寄られたから。
 でも、ああ、もっと簡単な理由があった。
 好きな人に名前を呼ばれるのは、単純に、嬉しい。
「あのね、郁」
 繋いだ指先に唇を落としながら、もう一度。
 指先がくすぐったい。手の甲がくすぐったい。肘から先が。二の腕が。肩が。
 鎖骨も首筋も、唇も。佐和子が触れてくる箇所の全てが、愛しくてくすぐったい。
「確かに言葉は大切だけれど。見て分かる事や触れて分かる事も、沢山あるのよ」
「……またそう言って、変なことする気でしょ」
「私が郁の嫌がるような事をすると思う?」
 不服そうな彼女に首を横へ振って、覆い被さってきた体を抱き締める。
 頭の芯が熱かった。気温のせいでのぼせたのではなくて、心の熱が溢れ出してしまいそうな。
 冷たい手よりも触れていて暖かい体の方が好きだと佐和子が言って、わけが分からなくなりそうなまま何度も頷いた。彼女の冷たかった手はいつの間にか熱を帯びて、暖かくなっていたから。
 心臓が止まらなくても。
 好きな人がいればそれだけで、心は熱くなれるのだ。


「――みなみの事をね、最近よく考えるんだ」
 ベッドの中でまどろみながら、隣りで眠っている佐和子に告げた。
 聞いて貰いたいわけではなくて、ただ、吐き出したくて。郁が考えている事を、一度形にしてみたかった。
「私が佐和子さんを選ばずにずっとみなみのそばにいたら、たぶん私は、みなみの事を嫌いになっちゃうと思う。一緒にいるくせに、心は遠い場所にあるんだよ。それでみなみは、幸せなのかな」
 他の奴みたいにならないで欲しいと彼女は言っていたけれど、郁もそれに混じってしまうかもしれない。弱いから口に出せないだけで、彼女の我が儘のわけも、寂しさも、何も理解できないままぐずぐずと付き合っていくのだろう。
 無理やりにでも繋ぎ止めておかないと、みなみは不安なのだ。嘘で塗り固めた幸せは長く続かないと分かっていても、何度同じ事を繰り返しても、独りになるのが嫌だから。
「何でだろう。あんなに離れたかったのに、いざ拒絶されると諦めきれないんだ。私の好きな人は――初恋の人もね、佐和子さんだけど。佐和子さんがいればもうみなみは必要ないってわけじゃなくてさ。色んな一番があって、どれも捨てられないっていうか。欲張りだよね」
 好きなもののカテゴリは一つに絞れないなんて、浮気する人の言い訳みたいだと苦笑いした。彼女が郁の目を見て、そしていらないと言ってくれれば、まだ諦めもついたのに。
 いらないという言葉が、いなくならないでと聞こえたのだ。郁がいないとみなみが独りになる。だから、いなくならないで。独りにしないで。そう聞こえた。
「名前が呼びたいよ、佐和子さん。あの子の名前を、呼んであげたい」
 止んでは降り続く雨の音が眠りを誘う。世界のどこまでが同じ水滴で濡れているんだろうか。ちっぽけな世界は、どこまで共有できるだろうか。
 もう一度、名前が呼びたい。
 今度はもう泣かないから。顔が合わせ辛いと避けたりしないから。
 彼女もこちらを、見ていてくれますように。

  □ □ □

 雨が降る、雨が降る。
 昨夜は久しぶりにぐっすりと眠れて、なんだか体が軽かった。脱皮した蝉の気持ちも、こんな感じだろうか。重かった土を、殻を脱ぎ捨てて、あまりの軽さに喜び勇んで飛び回るのだ。
 彼らはすぐに死んでしまうけれど。耐え忍んだ果てに見えた世界の明るさや広さを他の誰かに伝えたくて、叫んでいたのだろうか。
 余っているからと冴子に投げ渡されたビニール傘を雨粒が叩く。朝からシャワーを浴びて出てきた所を取っ捕まえるようにくどくどと叱られた後、泣かないなら許すと諦め混じりの溜め息をつかれた。
 佐和子に借りた下着を見られた時は、さすがに頬をつねられたが。
――未使用だとかそうじゃないとかそういう問題じゃないのよ。ていうかそれ私が佐和子に買ったやつじゃない高かったのに。あれなの? もうすっかり仲良しモードですか椎名さんは。保護者に挨拶もなしにお泊まりできる御身分ですか。私だって佐和子と一緒に寝たいしお風呂入りたいしって痛い! 違うの佐和子! 私は大人としての礼儀を教えてただけなの! 姉さんのためにも佐和子に悪い虫がつかないようにこのクソ生意気なガキを痛いやめて叩かないで蹴らないで!――
 今朝の出来事を思い出すと、うちの家族はドライな方で良かったとしみじみ思う。未来にメールを一通入れただけだからさすがに少しは叱られるだろうが、まだ家に残って説教をされている――しているのかもしれない――佐和子に比べればましな方だ。
 朝食を食べていなかったから、昼食と一緒にコンビニで何か買おうと正規の通学路へ向かって歩いた。回り道をする時間の余裕はまだあるし、よくよく考えると昨日の昼から何も食べていない。
 佐和子の家から出てきた郁はともかく、反対側から歩いてくる同じ制服には少し濡れているものもたまにいた。途切れ途切れで弱いとはいえ昨日から降り続けていたのだから、傘くらい用意しておけばいいのに。
 目当てのコンビニからも丁度、真新しい傘を手に持った女子生徒が出てきたところだ。
「……今買ったんだけど」
「そうだね」
 開こうとした傘を横から押し退けて差し出すと、彼女は不機嫌そうに言いながら歩き出す。
 これ以上濡れないように、郁も右側に並んだ。
「何よ。あたしがついて歩くのはうざかったくせに」
「引っ張られるのは、嫌だったから」
「今までそんなの言ってなかった」
「うん。ごめんね」
 隣りを歩くのは初めてかもしれない。いつも、彼女の少し後ろを歩いていた。
 何を話せばいいのかよく分からなくて、黙ってしまった郁の左手に何か硬い物が押し付けられる。返す、と呟かれた。いつか無くした、小さな黒猫の鍵。
「私ね、佐和子さんが好きだから。全部はあげられないんだ」
「……知ってる」
 だから、受け取る黒猫ごと彼女の右手を包んだ。
 独りの怖さが続かないように、せめてこの左手の熱だけでも伝えておきたい。
「み――っ」
 名前を呼ぼうとした声が、大きな音でかき消される。そういえば自分は、来た道を戻る前にコンビニ何か食べ物を買おうとしていたはずで。
「ば……ばかじゃないの? 何でそこで、お腹鳴らすのよぉ……」
「ごめん……」
 脱力したように俯く彼女に肩を落として溜め息をつく。いくら格好をつけたくても、慣れない事をするといつも、上手くいった試しがないのだ。
 郁のばか。
 もう一度言われて、またごめんと謝った。
「――いいよ、もう。学校着いたら、あたしのお弁当あげるから食べれば?」
「いいの?」
「その代わり、お昼は食堂ね。奢ってよ」
 彼女が強く握り返した左手に、そっと力を込めた。許可を貰えたと思っても、いいのだろうか。隣りを歩く、許しを貰えただろうか。
「みなみ」
 名前を呼びながら立ち止まると、彼女も同じ場所で足を止めた。
 ほんの些細な事なのに、すごく嬉しかった。
「私達、友達になれるかな?」
「――友達でしょ、最初から。ちょっと喧嘩してただけでさ」
「……うん」
「郁が真に受けすぎなだけ。ほら、早く行かないと食べる時間なくなるよ」
 急かされて手を繋いだまま走り出す。あたしの前で雨宮とイチャついたら殴ると付け足されて、反応に困って苦笑いした。
 雨が降る、雨が降る。
 回らなかった歯車も、いらなくなった器官も、全部錆びて砂になって。
 雨が静かに、流してくれる。


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