【優しさとは、思いやりがありこまやかな心づかいが出来る事である】

 美夏に誘われて、歩と三人で映画を見に行く事になった。
 考えてみると千春が何か目的を持って美夏と出かけるなんて今までなかったかもしれない。大抵は出先で偶然鉢合わせるか、向こうがこちらの家にお茶をしにくるかのどちらかで、ご近所付き合い程度の行き来しか交わしていないのだ。
 歩とはよく一緒に買い物や遊びに出かけている印象があるのだけれど、千春は今回も歩のおまけのようなものだ。正直、とっつきにくい人間だと思われているのだろうかと時々悩む。
 以上の話を出かける間際に歩に話してみたところ、
「なんかねぇ。私は友達みたいで、千春ちゃんはお姉さんっぽいんだって」
 との返事をいただいた。
 確かに年齢的には自分の方が上であるし、歩は精神的に幼いので波長も合うには違いない。千春自身、子供の頃近所に住んでいたお姉さんはどこか近寄りがたいような、一緒にいてもお尻の辺りがむずがゆくて落ち着かないような、不思議な感覚を覚えたものだ。歩は何も物怖じせずに、千春を連れてお菓子を貰いに行ったりしていたのだけれど。
 今も昔も、この幼馴染みは人懐こい。もっとも付き合わされる身としては悩まされる事も多々あるのだが。
「……うわ」
「どうしたの? 待ち合わせ遅れちゃうよ?」
「……昔、歩と自分は付き合ってるって勘違いした男子に私が説明しにいくはめになったの思い出した」
「ああー。あったねぇ」
 そんな事どうでもいいから早く行こうよ、と急かす彼女に溜息をついて靴を履く。
 どうでもいい、ときたものだ。
 男女分け隔てなく接するのが悪い事だとは言わないが、年頃の男相手でも千春を相手にしている時と同じような態度を取っていては勘違いされても仕方がないのだ。その度にあいつは誰にでもああなので、恋愛対象としては見ていないようなので、と頭を下げてまわったこちらの気苦労くらいは覚えておいて欲しい。
 今は昔ほどお守りをせずに済んでいるので、少しは楽になったけれど。
「千春ちゃんってばぁ」
「はいはい」
 待ちくたびれたのか、子供みたいに扉をがちゃがちゃ鳴らしはじめた歩に力なく返事をして、千春はもう一度溜息をついた。


「千春さんって、歩さんに優しいですよね」
「――は?」
「……美夏ちゃんはもっと現実を見るべきだよ」
 遅めの昼食として頼んだ海鮮パスタのエビを2個も取ろうとした歩の頭を景気よくはたいた直後にそんな事を言われて、千春は思わず首を傾げた。隣で、涙目の歩が代わりのアサリにフォークを突き刺しながら呻く。
 今日の流れとしてはこうだ。日曜の朝からアパートの前で美夏と待ち合わせ。あれだけ千春を急かしたくせに歩が忘れ物をしたと停留所で言うので、1本遅れたバスに乗って映画館のあるショッピングモールへ。ばかみたいに大きなポップコーンを食べるべきだと主張する歩に紙コップのジュースでも買ってこいと小銭を投げつけてから映画を見て、雑貨や洋服なんかを軽く眺めている途中で歩が迷子になったのを探し回って、そろそろお昼ご飯にしましょうかとレストランに入ったらエビを取られたので怒った。
 どこをどう見れば優しいのか、まるで理解が出来ない。
 不思議顔の二人に、だって、と美夏はおかしそうに目を細める。
「忘れ物、千春さんが走って取りに戻ったじゃないですか?」
「いや、歩が行くより私の方が足速いし」
「ジュースもおごりでしょ? あたしにも買ってくれましたし」
「いや、百円玉で買えるもので感謝されても」
「歩さん探す時もめちゃくちゃ焦ってて、心配してるんだなぁと」
「いや、いい年こいて迷子の呼び出しなんか嫌だし」
「あとさっきから歩さんが嫌いなものぽんぽん千春さんのお皿に入れても、普通に食べてあげてるじゃないですか」
「いや、これも昔からだし――だからエビ取るなって言ってんでしょうが!」
「ああっ、ひどいよグリーンピース戻さないでよ!」
 美夏と話している隙にまたエビを略奪しようとした歩から皿を取り上げて、今までこちらの皿に放り込まれていた緑の粒をまとめて移す。どうせ後悔するんだからやめろと何度も言ったのに、私はあえてこのレトロなチキンライスを頼むよ! と意志を貫いた歩は、結果としてスプーンでライス部分を掘削してはグリーンピースを撥ねる行為に延々没頭していたのだ。外だから我慢しているものの、家なら好き嫌いするなと無理やりにでも口にねじ込んでやりたい。
 自分で言うのもなんだけれど、千春が歩に優しく接しているとは思えないのだ。親の都合で引越しをする事の多かったらしい美夏は二人のような幼馴染みもいないそうだし、遠慮なく付き合えるのが羨ましいと漏らしていた覚えはあるが――
「あー。あの、さ」
「何ですか?」
 頬を掻きながらためらいがちに口を開くと、今度は美夏が首を傾げる。
 少しだけ悩んでから続けた。
「その、私、今日あんまり美夏ちゃんにかまってなかったかなぁと思って。せっかく誘ってくれたのに、これに振り回されてばっかだしさ」
「そんな事ないですよ。お二人と一緒だと楽しいですもん」
「いや、なんていうか」
 言いたい事を整理しているうちにお尻の辺りがむずむずしてきて、思わず姿勢を正す。千春が昔近所のお姉さんに感じていたあれは、単に年の離れた相手が苦手だというわけではなくて。誰かと距離を詰めるのが苦手だったせいもあるかもしれない。手を引いてくれていたのは、はた迷惑で人懐こい幼馴染みだったわけだけれど。
 顔が紅潮してくるのを自覚しながら、また頬を掻いた。
「わ、私は、美夏ちゃんの事、妹みたいに思ってるわけ、で、えーと、あんまり遠慮しなくても、いいっていうか――」
「ちはーはんっへ、つっこみ属性のくせに、むぐ、照れると、あ、エビおいしー、スラスラ喋れないよねぇ」
「……」
 せっかく振り絞った勇気をその幼馴染みに台無しにされて口元が引きつる。
 珍しく静かにしていると思ったらこのざまだ。食べるか茶化すかどっちかにしろと怒鳴る代わりに無言でこめかみに拳骨を押し当てていると、様子を見ていた美夏がぷっと噴き出してお腹を抱えて笑った。けらけら、けらけら、涙まで滲ませて笑われてしまっては、お姉さんぶろうとした威厳も何もあったものじゃない。
 一通りの発作が治まってから、
「あたしも千春さんの事、お姉ちゃんみたいに思っていいですか?」
 と尋ねられたので、拳から歩を解放しながら頷く。二人きりの時なら恥ずかしさで何も言えないだろうが、三人でいてもこの始末なのでどちらにしても恥ずかしい。
 照れ隠しに美夏にデザートを奢ってあげて、歩には千春の分を半分くれてやって、ゲームセンターで美夏にぬいぐるみを取ってあげて、歩は格闘ゲームの対戦でぼこぼこにしてやった。
 久しぶりに日が暮れるまで遊んで、軽くなった財布と共に帰路につく。美夏も上機嫌で、鼻歌混じりに二人の少し後ろを歩いていた。狭い道だというのに車道の側をふらふら歩こうとしている歩の襟首を掴んで、黙って自分と位置を逆転させる。
「――でもそっちは無意識だから、清々しいくらい勝ち目ないんですよねー」
 丁度大きなトラックが横を通りかかって、耳元を風をかすめる音が響く。
 美夏の呟きは、千春には上手く聞き取れなかった。


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