【あなたに想いを届けたら】

(1)
 年も明けて実家に帰ったりまた戻ってきたり千春ちゃんとこたつで寝たり。
 気付けば美夏ちゃんちの台所で正座させられてる、そんな季節です。
「――見にくるって言ったの、歩さんだよね?」
「てへっ」
「可愛くない」
 ちょっとしたお茶目にも応じてくれない美夏ちゃんのお怒りももっともで、事の発端は今からほんの少し前。
 昼寝中の千春ちゃんを置いて一人でスーパーにお菓子を買いに行ったら、同じくお菓子を物色中の美夏ちゃんと偶然出会ったところから始まったのだ。

『あ、美夏ちゃんもおやつ買いに来たの?』
『ううん、自分のじゃなくてね。明日友達にあげる分のチョコ作ろうかなって』
『今から作るの? ねぇねぇ、見に行ってもいい?』
『いいけど、つまみ食いしないでよー?』

 しちゃいました。
 いっぱいあるしバレないかな、と思って。
「もー、ほんっと大人げないんだから。歩さんの分ちゃんと減らすからね」
「え、私にもくれるの?」
「ちゃんと明日あげるつもりだったんだってば。友チョコなんだし」
 ぷりぷり怒りながらも作業を再開する美夏ちゃんをきょとんと見つめる。
 ああ、とようやく気が付いて手のひらを叩いた。
「明日ってバレンタインだっけ?」
「……」
 再び、美夏ちゃんの動きが止まった。


(2)
「わ……忘れてたの? バレンタインだよ?」
「だってあげる人いないもん」
 それでも女子なのと言わんばかりにあんぐりと口を開けた美夏ちゃんに唇を尖らせて答える。私、2月の行事って節分くらいしかやらないし。さすがに去年ので懲りたから豆はまかなかったんだけど。
「男じゃなくても友達とか家族とか、ていうか千春さんは?」
「千春ちゃんがもらってきたチョコが食べれる日って認識しかないんだよねー」
 高2の時にタッパー渡したせいで千春ちゃんにめちゃくちゃ怒られて以来、日付意識するのもやめちゃったのだ。通学路がいつもより浮き足立ってたりだとか、千春ちゃんが紙袋持って帰ってきたりだとかで、当日にならないと思い出さないようになってしまった。
 お父さんの分はお母さんと私の連名ってことになってるし。
 そういえば、美夏ちゃんって去年もくれたんだっけ。
「……千春さんにあげたことないの?」
「ないよ」
「一度も?」
「うん」
 元々、甘いものの苦手な千春ちゃんなのだ。みんなに貰った分も食べ切れなくて持て余してるのに、ノルマ増やしちゃうのも悪い気がする。
 でしょ? と同意を求めてみると、美夏ちゃんは額を押さえてため息をついた。
「いや……それだとあたしもあげちゃ駄目みたいじゃん」
「そんなことないない。美夏ちゃんに貰った分は大事に食べてたもん」
 思わず首を横に振って即答する。
 何より気持ちが嬉しいからって結局毎年残さず食べてるわけで、千春ちゃんのそういうところが私は好きだ。優しすぎて相手の押しに弱いところはやきもきしてしまうけれど、人の気持ちを大切に考えてくれる。
 でしょ? と今度はこちらが同意を求められて気付いた。
 私、千春ちゃんの気持ちよりもチョコ美味しいよねしか考えてなかったようです。


(3)
 今になって考えてみると千春ちゃんは昔から私の事が好きだったはずで――自分で言うのもなんだかなとは思うけど実際私かなり愛されてるし――、そりゃ好きな人がバレンタインにチョコの一つもくれない上にタッパー渡してきて貰った分ちょうだいねって言い出したら泣くか怒るかするしかないだろう。あの時かなり怒ってたし。
 とはいえ。
「でもさぁ、今までずっとあげてなかったのに急にあげるのって恥ずかしくない?」
 調理器具を持って台所に立つことになった私は、隣で板チョコを刻んでいる美夏ちゃんに問いかけてみる。仲良し幼馴染みだった期間が長すぎたせいで、そういえば私と千春ちゃんってもう恋人同士なんだよなぁってたまに意識するだけで照れたりしちゃうのだ、いまだに。慣れって怖い。
 いいからさっさとそれ混ぜてよね、と急かされてゴムベラを握りなおす私に美夏ちゃんは笑う。
「恥ずかしくてもさ、こういうのってあげた方も嬉しくなったりしちゃうんだよ」
「んー」
 だから世の中でこんなに流行ってるんだろうかと考えつつ手を動かしてみる。
 元々たくさん作る予定だったそうだから材料は美夏ちゃんにおすそ分けしてもらったし、こうやって誰かと特別なお菓子を作るのって結構、いや、かなり楽しい。
 千春ちゃんよろこんでくれるかなぁ、なんて自然と頭もとろけてきちゃったり。
 ただでさえ照れ屋なんだし相当可愛いだろうなぁ、なんてにやけてきちゃったり。
「なんかこう……いいね!」
「いいでしょ!?」
「いい匂いするし! 味見していいかな!?」
「怒るよ」
 急激に声のトーンを落とされて黙り込む。
 だってやっぱり、チョコ美味しいんだもん。


(4)
「歩さ、なんか今日変じゃない?」
「べ、べっつにー?」
 お隣から帰宅して数時間。
 暇さえあればチョコの置いてある自室とリビングを行ったり来たりする私に千春ちゃんは訝しげな顔を浮かべたままだけれど、気になるものは仕方がない。
 だってよく考えたら、当日一番に渡せるのって世界で私だけなんだよ? 一緒に暮らしてる特権っていうかさ、作ったからには早く渡したいじゃない?
 そこで日付が変わるまで粘るしかないと頑張っているものの、
「ねぇ、私もう寝たいんだけど」
「だめ。ほら、これ飲んで」
 何度も大きなあくびをする千春ちゃんにひたすらコーヒーをすすめて防衛するしか策がないのは、我ながらちょっとどうかと思う。うとうとしながら飲んでるからこぼしちゃってるし。昼寝までしてたのに、どうも昔から睡眠欲に弱いのだ。
 じりじりと進む時計の針を、千春ちゃんの口元を拭いてあげつつ眺める。
 じりじり、じりじりと待つ。
「ねぇ」
「はい、こっち来て!」
「ん、なに、寝ていい?」
 半分寝ぼけはじめた千春ちゃんの手を引いて部屋に戻った私は、ベッドに潜り込もうとしているのを無理やり引き起こしてから隣に腰掛ける。
 いざ渡すとなると、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。いつもなら千春ちゃんがそわそわしてるのをにやにやしながら眺めてるはずなのに、まるきり立場逆転だ。どっちかというと今の千春ちゃんはにやにやというより、眠気でふにゃふにゃしてるけど。
 あれ?


(5)
「……起きてる?」
「ねむい」
 ひょっとしてこれ、今渡してもチョコだって認識できない可能性大なんじゃないかな。
 作戦倒れってやつなんじゃないですかこれ。船こいでるもん、この子。
――が、ここまで来てまたそわそわしながら朝がくるのを待つのは嫌だ。
「えーと……これ、作ったんだけどね?」
「……んん」
「チョコ。バレンタインの。分かる?」
 一言ずつ噛んで含めるように教えながら包みを手渡すものの、ロマンチックとは程遠い。
 私に足りないのって我慢強さなんだなぁと実感しつつ、いまいち力のない視線で手元を眺めている千春ちゃんをじっと見つめる。
「……」
「……」
 あんまり動かないもんだから、やっぱり朝やり直すことにしてこのまま寝かせてあげた方がいい気がしてきたりなんかして。
 寝ぼけた千春ちゃん可愛いし。
 目なんかこうね、きらきらしちゃってね。さっきまでふにゃふにゃしてたのに、すごく嬉しそうに私の方見てくるしね。何度も何度もチョコのこと確認してるしね。自分のほっぺたつねったりしてるしね。
「――くれるの!?」
 想像してた以上に可愛いんだけどどうしよう。
「え、うわ、すごい嬉しい。どうしよ」
「こっちがどうしようだよぅ!」
 ぱぁっと顔を輝かせた千春ちゃんを抱きしめて、頭をぐりぐりと押し付ける。
 私、今なら死んでもいいかもしれない。


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